【小牧城 その1】

・・・小牧城は2ページにわたって紹介・・・  【1】 【2】  ■次へ→

愛知県 小牧城 あいちけん こまきじょう
■小牧城(別名=小牧山城)
■小牧山=見学自由
■小牧市歴史館=100円
開館時間=9時〜16時半(入館は16時15分まで)
休館日=毎週木曜、年末年始
駐車場=有料駐車場       (2007.10.7現在)
※小牧城のページは、2007.2.10(表記なし)、
2007.10.7(表記)の写真を、使用しています。
住所=小牧市堀の内1-1
この時は、東名高速道路 小牧I.Cから国道41号を名古屋方面へ。 国道155号へ左折。少しして小牧警察署前信号を右折。 右側の有料駐車場を利用した。

史跡 小牧山 (小さい案内図の写真をクリック→拡大)
小牧山は、標高85.9m、面積約21haを測る。平野の中央に 孤立する小山で、山頂からは濃尾平野を一望することができる。 大昔は帆巻山と呼んだという古老の言い伝えがある他、中世、小牧で馬市が開かれた 事から曳馬山、駒来山と呼ばれたともいう。 永禄6年(1563)、織田信長によって小牧山城が築かれ、 天正12年(1584)の小牧・長久手の合戦の舞台となり、歴史にその名を残している。 信長は、永禄6年、美濃攻略のため清須(洲)城から小牧山へ移ると 共に山全体を要害にする為、山頂から麓まで五段の塁濠をつくり、 要所には重臣の館を置き、南方に大手道を開き、 南西中腹には馬場を設けたという。 当時は、北側は池沼で自然の要害であったため工事は省かれたが、 南側は原野であった為大工事であって、あちこちに堀をつくったが、 それらは今なお山中に見られる。また、小牧山南麓から西麓に 城下町を形成した。しかし、信長は永禄10年に美濃の 斉藤龍興を攻略して岐阜稲葉城へ移り、小牧山城は廃城となった。 天正10年(1582)の本能寺の変の後、信長の後継者争いが起こり、 豊臣秀吉と信長の二男信雄(のぶかつ)が対立、 秀吉は信雄を懐柔しようとするが、これに応じずかえって反逆した為、 北伊勢の居城を攻撃する。信雄は驚き家康に援助を求めたところ、 信長に恩のある家康はこれを引き受け、自ら大軍を率いて清須(洲)城に入り、 地の利第一の小牧山に軍を進めた。天正12年(1584)の小牧・長久手の合戦である。 一方、大坂(阪)城を出て犬山城方面から侵攻し、 小牧市北部に陣を敷いた秀吉軍に対して、家康軍は小牧山城を主陣地とし、小牧山の東方にも 砦を築いて対抗し、持久戦となった。 この時の両軍の兵力は10万余と言われる。しかし、戦いは小競り合いを繰り返し、 長く膠着状態が続いた。秀吉は、部下池田信輝の再三の進言によって、家康の 居城である岡崎城を攻撃すれば一挙に解決するものと考え、軍の一部を 密かに移動させるが、家康軍に気付かれ、家康自ら秀吉軍を急進撃する。 これが長久手を舞台に繰り広げられた長久手の戦いで、家康軍の完勝となった。 現在残る城郭遺構は、信長が築いた城跡の曲輪を踏襲しつつ新たに 土塁、堀を築くなどして改修された家康軍の陣城の跡である。 小牧山城の縄張は、山麓と中腹の横堀で二重に囲い込まれる。 中腹の横堀は、概して浅いか堀相当の平地の前面に低い土塁を 配するものが多い。山麓の長大な土塁と横堀は家康軍の 改修の際に築かれ、秀吉軍と直接向かい合う東から北にかけて、 大軍勢を収容する幅広な帯曲輪と北側の「搦手口」などの 出撃用の虎口が築かれたと推定されている。 史跡小牧山は現在でも各所に土塁や堀の跡が見られ、 織豊期城郭を良好に保存した希少例として貴重な存在である。 なお、山頂に立つ歴史館(小牧城)は、秀吉が京都聚楽第に 建てた飛雲閣(現在、西本願寺内)をモデルに昭和43年に、 建設されたもので、郷土資料が展示されている。 (案内板より・絵図も)
模擬天守&景色(2007.10.7撮影)
模擬天守を表と裏側から。H19にリニューアルされて、 室内が凄くきれいになってた(^^) 右は、金華山(岐阜城)方面。
(パノラマっぽく加工)今回は、山がよく見えてよかった〜(^^) 3分割した場合、左側に犬山城があるって感じ。
土塁(土塁断面土層)
小牧山の麓を取り巻く土塁は、当初は堀を挟んで 二重になっていたが、今では内側の土塁が残っている だけである。この土塁は、幅10m、高さ3m程の規模で 外側が急傾斜で内側の傾斜が緩くなっている。 土塁の外側には堀があったので、堀の底から測ると 土塁の高さは5mにもなる。 小牧山を取り巻く土塁は、織田信長の城にはなく、 この土塁が造られたのは、小牧・長久手合戦の時で、 徳川家康の軍勢が短期間に築いたものである。 (案内より)
帯曲輪 搦手道 小牧山石碑
信長の城では武家屋敷があった。 (案内板より) 小牧山の北側は、かつては池沼で、南が正門となり、 北が裏門となった。 (小牧市教育委員会の標柱より)
虎口かな?
(左=2007.2.10、右=2007.10.7)

案内図からすると、虎口a付近かな?
2007.2.10の時には、発掘調査中で、
2007.10.7では、終了してたんだけど、
きれいになってて何も無かった(^^;)
左の写真のブルーシートの部分が、
右の写真の、右側の土塁の所(^^)
堀跡?(2007.10.7撮影) 曲輪跡 虎口跡?
右上の写真の右側手前には、堀跡のようなものが(^^) 虎口a付近から歩いていくと、虎口のようなものが。虎口d?
石垣に使用された石 石垣跡 本丸跡
石の上には「織田信長小牧城築城時の石垣跡」と書かれた板が 置かれていた(笑)付近にも名残が(^^)
史跡 小牧山 桜の馬場 大手道を下りて…
桜の馬場は遊具のある公園に。その後、大手道を 下りたんだけど、上りは遠慮したいくらい長〜い道のり(^^;)
大手道 大手口(虎口e) 史跡 小牧山石碑
城の正門から本丸へ至る道。現在は市役所西側から歴史館へ 至る遊歩道となっている。(小牧市教育委員会の標柱より)

・・・小牧城は2ページにわたって紹介・・・  【1】 【2】  ■次へ→

【 愛知のもくじ 】 上へ
下にメニューフレームが出ていない場合の、top へは→ top に戻る