【設楽原古戦場】

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このページの紹介
織田信長戦地本陣
織田信長戦地本陣
■織田信長戦地本陣
■茶臼山
駐車場=無料駐車場       (2011.7.28現在)

住所=新城市牛倉字城山
この時は、国道151号を走って、富永新知信号で、 県道438号へ北上。次に、県道21号へ左折し西へ進み、 川上公会堂の反対側の右側の案内(見えないかも?)に、従って右折。 道なりに走って、右側のヘアピンカーブ方面へ。1番奥にとめた。

天正3年(1575)、長篠の戦いに臨んだ織田信長は、 設楽原の決戦を控えて、上平井の極楽寺で軍議をひらき、 武田軍の騎馬隊攻略の作戦を練った。そして、自らはこの 茶臼山に進撃し、本陣を置いて指揮を取った。 このすぐ北側には、側近、木下秀吉を従え、徳川家康を 最前線の弾正山に配置した。布陣は、当時の信長の権力の 絶大さを示しているといえよう。
茶臼山公園は、標高134.5m。前面の緩やかな斜面に 横穴式古墳二基があり、裏側には山住稲荷社等が まつられている。北に続く高台の中央の塚から 経筒(平安末期)が出土した。今は、ここに 茶臼山稲荷社がまつられ、かつては石段の両側に 天正の白山祠等が並んでいた。 この付近一帯は、中世の山城であり、また 旧南設楽郡旧石座村の人達の軍人招魂慰霊の 地でもあった。(新城市教育委員会の案内板より)
入口
(左)正面が、県道からの「茶臼山公園・織田信長戦地本陣跡」 の入口。 (真ん中)アップ。案内が県道から見えづらい。
(右)進んで行くと、右側のヘアピンカーブの道があるので、 そちらへ。「車、通れる!?」って不安になるけど、ちゃんと
通れた(笑)入る時、大変だけど。しかも、すぐそばの 山が削られて、道を造る工事中!茶臼山ある!?みたいな(笑)
広場 奥へ 本陣跡へ
(左)車で進んで行くと、広場が。 (真ん中)土塁の間を抜けて、もっと奥に車をとめた。 (右)少し歩くと稲荷社が。
本陣跡 信長の歌碑 設楽原古戦場いろはかるた
(真ん中)本陣跡に、全国的にも珍しい信長の歌碑が。 「きつねなく 声もうれしくきこゆなり 松風清き  茶臼山かね」
木が生い茂っているけど、お昼2時過ぎで日差しが入っていたから、 ジメジメしてなくて、凄く雰囲気が良かった♪
おまけ
(左)ヘアピンカーブから下りている最中。道を造成中。 (真ん中)茶臼山が無くなった!?と焦った(^^;) (右)遠景。

■織田信長戦地本陣
最初、入口が分からず、迷ってしまった(^^;) その迷っている最中、山が削られ、道路が作られている光景が!! あれ、茶臼山辺りじゃ…!?まさか無くなっては無いよね?と、 向かってみると、かなりギリギリ(^^;)工事用の道と 茶臼山の道が隣り合わせだったから、ダンプが凄かった!! ところで、茶臼山へはヘアピンカーブだから、かなり大変。 道も狭いから、大丈夫なのかな…って不安になるくらい。
陣跡へは、曲輪がいくつもあって、本陣跡に稲荷社や 信長の歌碑が立っていた。

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