秋田県 本荘城 |
■本荘城(別名=尾崎城、鶴舞城)=見学自由 ■本荘公園 駐車場=無料駐車場 (2010.9.24現在) |
住所=由利本荘市尾崎 この時は、国道7号から国道107号を東へ進み、 鵜沼信号、裁判所入口信号を過ぎて、 本荘公園と野球場の間を進んで、 御門信号を左折。少し先の左側に、 第3駐車場がある。 |
本荘城 | ||
---|---|---|
この公園は、最上義光の臣、本城豊前守満茂の古城跡である。 本城豊前守が、由利所領5万4千石の本拠として、この地に 本荘城を築城したのが、慶長15年(1610)で、慶長17年 (1612)に漸く完成している。 元和8年(1622)、世嗣にからむ御家騒動から、 最上家は改易となり、本城豊前守満茂も居城を開け 渡して本荘の地を去った。 その後、由利領は一旦、宇都宮の城主・本多上野介正純の 左遷による国替えの地となり、ついで翌元和9年(1623)、 常陸国府中から六郷兵庫頭政乗が入府した。 この時、由利の領地は分割され、政乗の所領は2万石余であった。 そこで、政乗は豊前守の築城した本荘城の規模を縮小、 本丸の内には諏訪神社を祀り、北に粮米倉、西に甲冑櫓、 南に弓櫓、東に長柄及び鉄砲櫓を配置、二の丸には 大日堂、稲荷神社と、北の塀下の観音堂の外に、 馬具倉、西南に煙硝倉を設け、三の丸には藩主の御館と 御厩を配置した。 本荘城は、尾崎城または鶴舞城とも呼称され、六郷藩の 居城としても栄えたが、築城様式は、土居、土塁、 濠でかためた「土塁の城」として有名である。 明治元年(1868)戊辰戦争で自焼してしまった。 (由利本荘市の案内板より) | ||
遠景&入口(北東) | ||
(左)北東の入口側から遠景を。
(真ん中)この入口は徒歩用。
公園を沿うように南へ進むと、第3駐車場がある。 (右)城址碑が無かったけれど、この入口の右側に、 鶴舞城址が見られたから、ヨシとしよう(^w^) |
||
駐車場 | 二の丸・東御門跡 | 本丸の土塁 |
(左)公園の東側の第3駐車場にとめた。 (真ん中)第3駐車場からすぐに公園の入口。 (右)門の奥が本丸の土塁。 | ||
二の丸 | ||
(左)本丸東側を北へ進んで二の丸へ。 (真ん中)遊具が置かれた公園。 (右)上がっていないけど、展望台も。 | ||
稲荷社跡 | 二の丸・北側入口 | 二の丸・北側の御門跡 |
(左)二の丸の西側の階段を上がると本丸。 (真ん中)北側へ向かうと、御門跡。 (右)←を逆から。右側が二の丸へ。 | ||
二の丸・北側の御門跡付近 | ||
(左)正面が本丸で、左側が二の丸へ。
御門跡は左手前辺り。
(真ん中)二の丸北側を背に、正面が本丸北側の道。 右が、本丸下の西側の曲輪へ&三の丸へ。 (右)真ん中の写真の本丸下の道。階段を下りると、すぐ 三の丸へ。 |
||
本丸・北側の虎口 | ||
(左)二の丸・北側の御門跡付近から本丸へ。 (真ん中)振り返って。クランクが名残りかな。 (右)本丸から。 | ||
本丸 | ||
(左)本丸には本荘神社が建つ。 (右)周囲には土塁が。 (左下)北側の虎口を入って。 (下真ん中)三の丸方面を。 本丸からだと山が見えるなぁ(^^) (右下)満州開拓の碑。 奥に見えるのが、西側の土塁。 |
||
修身館&本丸の館 | 干飯倉跡 | 具足櫓跡 |
(左)本荘城の模型があるらしい。 (真ん中)修身館裏の高台。西側付近。石柱が無い…。 この辺り? (右)北西付近。 | ||
本丸東側の階段(二の丸の西側から本丸への階段) | ||
(左)二の丸から階段を上がると、正面に土塁。
左右どちらにでも行く事が出来る。
(真ん中)左は、長柄櫓跡方面。
(右)真ん中の写真から振り返って。右が階段。 逆側の正面の道が門跡方面?よく分からないな…(^^;) |
||
長柄櫓跡 | 弓櫓跡方面 | 見下ろして |
(左)本丸東側。 (真ん中)長柄櫓跡付近から。 写真が小さくて見えないけど、左端の東屋が弓櫓跡。 (右)高い! | ||
【 秋田のもくじ 】 | ■ 上へ ■ |