弓櫓跡 | ||
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(左)弓櫓はこっちだよね…と東屋へ。 (真ん中)東屋の奥に、ひっそりと。 (右)東屋から。鳥海山は雲で隠れてた…。 | ||
弓櫓跡の土塁 | 本丸南側の入口 | 弓櫓跡付近から本丸を |
(左)土塁を見ながら南へ。 (真ん中)この左上に弓櫓があったのかな。 (右)本丸方面。木と土塁で見えない…。 | ||
本丸下の西側の曲輪&煙硝倉跡 | ||
(左)右側が本丸の土塁。 (真ん中)本丸の西側の階段を下りるとすぐに、煙硝倉跡。 (右)トイレも煙硝倉跡。 | ||
野球場へ | ||
(左)橋を渡って、野球場へ。 (真ん中)ここも何かの曲輪かな? (右)1番西側。野球場(左)と本荘公園(右)の間。 | ||
(左&真ん中)橋から見下ろして。 深い!堀切っぽいなぁ(^^) (右)真ん中の写真の正面の池。本荘公園の南側。 | ||
三の丸 | ||
(左)何棟も立っているのかな?思ったら、 温水プールの施設らしい! (真ん中)城門方面。 (右)本丸を見上げて。 | ||
三の丸の城門 | ||
本荘公園がお城だった時代、「慶長18年(1613)から
慶応4年(1868)、戊辰戦争で城を自焼するまでの間」、
この場所に城門があった。
「本荘町志」(明治30年編纂)に、「北ニ出ツルヲ
正道トシ、濠ニ架セルヲ蓬莱橋ト云フ、衡門ヲ以テ域シ
番所ヲ置キ行人ヲ監ス」とあり、城絵図にも
屋根付きの門が描かれている。
城門の建築にあたっては、子吉郷本城村の一郭であった
尾崎山にはじめて城を築き、本荘の基を造った本城氏の
橘の紋とその後、11代約250年間にわたり本荘を治めた
六郷氏の三ツ亀甲の紋を屋根最上部の大棟に配し、
本荘公園整備と市政40周年を記念して、軒先瓦に
市章を入れ、昔ながらの工法による文化財的な
新建造物を、やがてくる21世紀と新千年紀の発展を
祈念して建立した。
■両袖扉付 三間四脚門。 10万石の大名と同等の格式の規模で、 10本の柱は樹齢300年の欅材を用い、 釘や金物を一切使用しない社寺建築工法で建築。 (由利本荘市の案内板より) (左下)内側から。(右下=2枚の写真を加工)大棟に見られる本城氏の橘の紋&六郷氏の三ツ亀甲の紋。 |
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満茂庭 | 政乗庭 | 冠木門 |
(左&真ん中)城門前の両側に、大手門蓬莱の庭と いうものがあった。 (右)城門から市役所方面には、冠木門が。 | ||
蓬莱橋と堀 | ||
(左)三の丸の城門前の堀に架かる橋。 (真ん中)城門を背に左側。長い土塁がいい感じ♪ (右)城門を背に右側。 | ||
道路に | ||
三の丸の城門から市役所へ 歩いていると、道路に絵が♪ 御殿まり、刺し子の名産が。 他にも、大名行列等の絵も。 道路を歩くのが、楽しい(^^) |
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