青森県 弘前城 |
■弘前公園 有料時間=9時〜17時 有料期間=4月1日〜11月23日まで 入園料=大人 300円(他、共通券あり) 駐車場=無し(近隣の弘前文化センター駐車場、 弘前市立観光館駐車場等を利用。さくらまつり時期は臨時駐車場があり。) (2005.7.31現在) |
住所=弘前市城下白銀 東北自動車道 大鰐弘前I.Cを下りて、国道7号を弘前方面へ右へ。 そのまま国道7号を進み、弘前バイパスを入らず下りて、運動公園入口交差点を 県道109号へ左折、ずっと進んで県道260号へ右折。そのまま道なりに進み 突き当り(目の前が弘前公園)を左折、道なりにすぐ右折、 左に観光館、図書館があり、道なりに左折、そのまま直進すると 観光館の駐車場で、道なりに右折すると左に市役所の駐車場。 |
三の丸 追手門 | |
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弘前城には、築城当初十棟の城門があったとされているが、現在二の丸南門、二の丸東門、三の丸追手門、三の丸東門、 四の丸北門(亀甲門)の五棟が残されている。 弘前城の城門は、周辺を土塁で築き、内外に枡形を設けた二層の 櫓門であるが、門の前面に特別の門(高麗門)等を 設けていない事や、 一層目の屋根を特に高く配し全体を簡素な素木造りとしていることなどから、 全国の城門の中でも古形式の櫓門として注目されている。棟高 11.7m (弘前市の案内板より) |
追手門の前に置いてある傘立ての甕 | ||
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この傘立てに使用している鋳物の甕は、四代藩主信政が元禄12年(1699)に、
弘前城三の丸に建設した三の丸御殿の跡地から出土した素焼きの大甕を
模して約三分の二に縮小し作製したものである。
この大甕は、大きさに比して極めて薄手でありその用途は、水甕などの
貯蔵用としてよりも能楽堂や舞台の床下に埋設し音響効果を高める為に
使用した甕に類するものであろうと考えられている。
なお、この甕の前面にある紋は七つ葉の杏葉牡丹(ぎょうようぼたん)といい
津軽家の家紋である。(案内板より)
傘を貸してくれるって、親切〜。でも、門前には似合わないなぁ(^^;) |
堀を挟んで見た辰巳櫓 | 堀を挟んで見た二の丸未申櫓 |
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杉の大橋 | 杉の大橋から見た未申櫓 |
■杉の大橋… 南内門外の大橋に当たり、名称は杉材を用いた橋という事から 付けられたといわれる。文政4年(1821)に濠の両側が石垣となる とともに、桧材によって掛替えされた際に欄干・擬宝珠がつけられた ものである。(案内板より) | |
弘前城 植物園 | 博物館 | 南内門(裏) |
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南内門(表) | 南内門の表側の土塁 |
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カメラを知ってて全然動こうとしない人。配慮が足りん。 | すっごく、すっごくきれい!!お気に入り♪ |
二の丸未申櫓(右は博物館側から堀を挟んで。) | |
城郭に取り付く敵を攻撃したり物見のために造られたもので、 防弾・防火のために土蔵造りとなっている。現存する三つの 櫓はいずれも三層建てで同じ様な姿であるが窓の形など 細部の造作に違いが見られる。 櫓の方角を十二支で示したもので、未申は南西に当たる。 (案内板より) | |
西の郭 | 西の郭のイチョウ | |
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ここは、藩政時代に矢場の土塁があった所で廃藩後にこの土塁が 壊された為に、根が露出するようになり、奇妙な形になった。 イチョウは、元来、気根(根が地上に出来る)が発達する 特徴をもっているので、今の状態で樹勢が衰える心配はない。 このイチョウは雄木である。(案内板より) | ||
埋門 | |
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埋門とは、石垣などの間に築かれる裏門の一形式で、延宝4年(1676)
の規定によると普段は扉を閉めていた。 馬屋町一帯は外曲輪であったが、 天和2年(1682)に川筋の整備に伴って、郭外の扱いとなった。 現在の石垣は、紀年銘から天保年間に整備された事が知られる。 (案内板より) (左)前方に見えるのは弘前工業高校。 (右)逆から |
埋門から出て両側の堀と弘前工業高校(馬屋町) | ||
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■馬屋町… 弘前城築城当初、ここは城の一郭で西外曲輪と呼ばれていた。 百石取りの侍屋敷と、藩主や家臣の馬を馴らす厩や馬場が あった所。藩政中期なると厩が少なくなったが、厩に ちなんで馬屋町と呼ばれるようになった。 | ||
西の郭未申櫓跡 | 西の郭から見た蓮池 | |
西の郭には、西側の土塁に沿って御馬場や御矢場が作られたほか、
各地の珍しい植物を植えた「御花畑」などがあった。この櫓は、
延暦6年(1756)の絵図によれば三層建てであったことがわかるが、
明治39年(1906)に煙草の火の不始末で焼失してしまった。
(案内板より)
(右)ここから見ると蓮池という程でもない。 |
西の郭から二の丸へ向かう | 堀は蓮の葉でいっぱい |
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二の丸と二の丸大枝垂れ | ||
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大正3年に在弘宮城県人会の寄付により植栽されたもので、 園内では最大のシダレザクラである。シダレザクラはエドヒガンの 枝垂れ性品種で、長寿のサクラとして知られている。 本丸にはこのサクラと同時期に植栽された「御滝桜」や「弘前枝垂れ」 などがある。(案内板より) |
時太鼓櫓跡 | 二の丸辰巳櫓 |
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城内で時間を知らせる為に太鼓を打ち出した場所で、貞享3年(1686) に始められた。時太鼓は、まず数10回捨て打ちして明け6つ(午前6時の 前後2時間)を打ち、他の時刻は3回捨て打ちしてから打つという。 明治4年(1871)の廃藩置県後に三の丸にあった稽古館と共に、 最初に解体された。(案内板より) | 城郭に取り付く敵を攻撃したり物見のために造られたもので、 防弾・防火のために土蔵造りとなっている。1・2層は四間四方の 同面積であるが、三層目を小さくし、屋根は入母屋にしている。 この櫓で、藩主が三の丸を通る弘前八幡宮の山車行列などを ご覧になった。(案内板より) |
東内門(表&裏) | |
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