館神跡(たてがみあと) | ||
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館神は、二代藩主信枚(のぶひら)が太閤秀吉の木像を御神体として 安置した場所。ここでは、藩主や城内の安全などにかかわる加持祈祷が とり行われており、ここへ出入できたのは、藩主や神官やその家族など ごく限られた人だった。平成11年〜12年度の発掘調査では、 鳥居の礎石や本殿の柱穴、柵列跡等の遺構が確認された他、 藩政時代の陶磁器や土器が多数出土した。 発掘された遺構は盛土により保護し、その上に鳥居の礎石及び柱、 本殿の柱、柵列の柱を表示した。また、通路は遺構の配置や絵図を参考に 設定した。(弘前市の案内板より) (右)館神跡付近の土塁。 | ||
北の郭から見た天守閣 | 北の郭から見た鷹丘橋 |
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下乗橋から見るのもいいけど、こっちからもいい。 | 鷹丘橋が水面に写って、いい感じ(^^) |
北の郭から見た本丸の石垣 | 北の郭から見た内濠 |
天守と石垣を入れたらこんな風になった。 | 蓮の葉がビッチリ水面に敷き詰められてる(^^;) |
北の郭 | 北の郭から波祢橋方面へ。 | 北の郭の土塁 |
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見所満載の北の郭だったな〜。 | ここから下りると蓮池。 | 北の郭はなかなか高い所にある。 |
波祢橋(はねばし) | 春陽橋(しゅんようばし) | 西濠 |
二階堰? | 四の丸 | |
ちょっと分かんなかった。 | 四の丸には護国神社がある。それにしてもすっきりとした雰囲気。 | |
北門(亀甲門) | |
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弘前城には、現在五棟の城門が残されているが、この北門は、これらの中でも 特に規模が大きく、また形状も異なり最古の形式を呈する城門である。 北門は、もと大光寺城(現在の南津軽郡平賀町)の城門を慶長16年 二代藩主信枚が築城にあたり、弘前城追手門として移築再建したもので、 昭和33年の保存修理工事に当たって、柱などから多数の矢傷跡が発見されている。 弘前城は、築城以来、実践の経験が無いため、この北門が城郭内で唯一の 実践の痕跡をとどめる貴重な城門である。 また、棟の両端にある鯱も他の門のものより古い形式のものである点、 矢狭間、鉄砲狭間の無い点など、見るべきところが多い門である。 (弘前市の案内板より) | |
亀甲橋(かめのこばし) | |
賀田橋(よしたばし) | 賀田橋から歩いて行くと | 賀田門跡 |
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今までとは違う橋っぽい(笑) | 桝形だから先が見えない。 | 門跡があるのだ。 |
賀田門跡 | 賀田門跡から振り返ってみた |
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築城当初は北門が城の表玄関で、ここにあった賀田門は、 三の丸の北門として旧賀田城(岩木町大浦城)の大手門を移築した と伝えられる。門の内外は直進できないように折れ曲がった桝形 が造られていて、堅固な備えを見せている。(案内板より) | |
二の丸丑寅櫓 | |
城郭に取り付く敵を攻撃したり物見のために造られ、 防弾・防火のために土蔵造りで、銅板葺(当初はとち葺) となっている。 軒下や出格子の木部は素木のままで飾り気が無いが、 独特の美しさを見せる。櫓の方角を十二支で示したもので、 丑寅は北東に当たる。(案内板より) |
中央高校入口側と外堀 | ボランティアガイドの近く | |
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何も無いけど、撮ってみた。どこを撮っても本当にきれい。 | でも閉ってたけど(笑) | |
■弘前城
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