東門 |
北門 |
本丸の料金場の近くから |
|
|
|
本丸
(小さい案内図をクリック→拡大)
|
本丸跡は、南部家の当主やその家族が住んでいた根城の中でも最も
重要な郭である。この郭を復元整備する為、昭和53年から11年間に
わたって発掘調査が行われた。
この結果、南部氏により築かれた建物跡が約400棟発見され、
復元整備は、このうちの安土桃山時代に相当する建物跡に
基づいて行われている。
当時の南部家の当主は第18代政栄(まさよし)か第19代直栄(なおよし)であった
と考えられている。
|
主殿 |
|
|
|
当主が特別な来客と会ったり、
様々な儀式を行った所。儀式で使う道具や、南部家に
伝わる重宝もここに納められ、大切に管理されていた。
建物の中は、大きな部屋が規則正しく並んでいて、
土間の台所の他は板敷きになっている。畳は、
特別な会見や儀式の時にだけ出して使われていたようである。
(案内より)
詰ノ間 来客の応対をする人がいる部屋。//
茶ノ間 来客にお茶をたてる部屋。
控ノ間 儀式の準備をする部屋。//
祈祷ノ間 東善寺住職が当主の家内安全を祈る部屋。
重宝ノ間 重南部家に伝わる重宝を入れる部屋。//
台所 奥御殿から運んだ料理を配膳する部屋。
二ノ間 広間に次ぐ部屋。//
広間 儀式を行う一番格の高い部屋。//
上馬屋 当主の馬がつながれていた所。
板蔵 倉庫として使われていた所。//
雪隠(せっちん) トイレ。//
縁 廊下。
(左)芝生の整備をしている最中の本丸(^^)
(右)模型。
|
詰ノ間 |
茶ノ間 |
控ノ間 |
|
|
|
重宝ノ間 |
二ノ間 |
広間 |
(右)南部家が武運長久を祈り、正月十一日に行った儀式の様子。
|
|
|
|
納屋 |
|
|
これらの建物は、地面を30cmほど掘りくぼめて土間にしている。
出入口が小さく窓が無いので、内部は薄暗くなっているが中には、
米・味噌・梅漬けなどが入れられたと考えられる。
納屋は、工房や鍛冶工房と異なり全て本丸の端に寄せて建てられていた。
(案内より)
←タイムスリップしたみたい(^^)
|
上馬屋(かみのうまや) |
当主が所有している馬を繋いでいた所。
南部地方は、古くから駿馬の産地として知られており、
各地の武士たちがここの馬を手に入れようとしていた。
南部駒の中でも特に優れたものが当主の馬に選ばれた。
合戦に行く時の当主の馬は、立派な馬具で飾られてここから
引き出された事であろう。(案内より)
発見された骨を基に復元されたとか!凄い、懲りようだ。
|
|
|
|
中馬屋(なかのうまや) |
|
来客の馬が繋がれていた所。手前の部屋にはほうきや
桶などの道具や干し草が入っていた。
当時の力のある人達は、板張りの馬屋を作っており、
古い絵巻物によく描かれている。武士たちは優れた馬を
競って手に入れ、大切にしていた。当時の馬はかなり小さく、
体格の良い馬でも体高(肩までの高さ)は1.3mほどだった。
(案内より)
|
下馬屋(しものうまや) |
|
この建物跡は、主に夜間や冬の間、馬を飼っていた所。
馬屋と倉庫を兼ねていて、鞍や鐙などの馬具の他に、馬の餌となる
飼い葉もたくさん蓄えられていた。
馬の世話や見張りをする為に、番人が交替で詰めていた。
建物内にはたくさんの柱が使われているが、柱と柱の間隔が広い所を
通路と考えると、間取りが分かりやすくなる。(案内より)
|
大いちょう |
本丸跡石碑 |
西門 |
|
■大いちょう…
築城当時からのものと伝えられているが、
樹齢はわかっていない。直径4m、高さ20mを越える大木。
(案内板より)
|
|
|
物見 |
祭壇跡? |
番所 |
この建物跡は、遠くを見るための櫓があった所。
敵の気配や荷物を積んで馬淵川を行き来する船の様子を
高い所から見張っていた。
|
土まんじゅうのように高く盛り上がっている所は、
神様が祭られた神聖な場所と考えられている。
↓手入れをしている真っ最中(^^)
|
西門を通る人を監視する為の番人が詰めていた所。
休憩所として活用する為、開け放しにしているが、
本来は板壁が取り付いていたと考えられる。
|
|
|
|
工房 |
|
竪穴式で、地面を長方形に掘りくぼめて床としている。
このような竪穴建物は、東北地方北部から
北海道南部の城や館の中でよくみられる。
建物の中では、職人達が合戦や儀式に備え、
鎧や弓などの修理をしていた。鎧のつづり紐や
部品を取り替えたり、弓などの漆がはげた所を塗り直す
作業が慎重に行われていた事だろう。(案内より)
|
常御殿(つねごてん) |
奥御殿 |
野鍛冶場(のかじば) |
当主が寝起きし、領内を治めるための仕事をしていた所。
重臣たちと協議したり、来客と接見するための広間や
寝所、従臣の詰所などがあったと考えられる。(案内より)
|
当主の家族が住んでいた所で、先祖の霊も祭られていた。
当主は先祖の拝礼や家族の様子をうかがう為に、常御殿から
通って来た。(案内より)
|
屋外の鍛冶場で、壊れた鉄鍋や銅銭等を溶かす
作業をした所。鉄はまじり物を除いてから一旦棒状にし、
銅は鋳型に流し込んで固めた後、鍛冶工房で加工された。
強い風は炉の熱を逃がしてしまうので、板塀をまわして
防いだ。(案内より)
|
|
|
|
鍛冶工房 |
|
竪穴式で、地面から90cm下にある鍛冶場では職人が
鎧や刀の部品の他に釘などを作っていた。
鍛冶場にはフイゴと炉があり、周囲には鍛冶道具や
不要になった鉄、銅銭、炭などが置かれている。
金属は大切にされ、壊れた破片でも再利用されていた。
鉄の製品は金槌で鍛え、銅は鋳型に流し込んで作られた。
(案内より)
…中はどこも薄暗い。
|
板蔵(いたくら) |
|
当主やその家族が奥御殿で使う道具や衣類を入れていた所。
品物を守る為に暑さ6cmの厚板を使って丈夫に作られている。
また、板は柱の溝に上から落ち込むようになっていて、
簡単には外す事が出来ない。ここに出入するのは、
奥御殿に仕える女性達で、品物の出し入れや手入れを慎重に
行っていた。(案内より)
|