トロとまったり・tripのページ(壇之浦合戦壁画)

壇之浦合戦壁画(少し大きめに…)

下の写真は、ダブル箇所もあるけれど、こんな感じ。 大きくて仕方なかった(^^;)

壇之浦合戦壁画の見所

【左】安徳天皇、建礼門院、二位尼の姿が見られる御座船。(北九州市の案内板より)
【真ん中】波間に浮ぶ女性は建礼門院。でも、救われて京都に送られ尼となった。(北九州市の案内板より)
【右】平教経に追われて船八艘を跳んで逃れる源義経。世に義経の八艘跳び。(北九州市の案内板より)

【左】戦い半ばにして早鞆の瀬戸にいるかの大群が突如出現した。 いるかの様子で吉凶を占ったところ、平家に凶と出た。(北九州市の案内板より)
【真ん中】一際大きい唐船は平家の擬装船。安徳帝、大将分の乗った 御座船に見せかけ、源氏軍がこれをめがけて襲ってきた所を包囲、全滅しようという作戦。(北九州市の案内板より)

【右】壁画の一番左にいる2人。さも、今から壁画の戦に行くみたいに見える(^^)

壇之浦合戦までの進行図

平家も大変だっただろうけど、源氏も攻めて行くのって、大変だっただろうなぁ〜。なんて思ったり(^^;)

その一

【左】豊功神社から干珠と満珠。(2009/8/15撮影)

【右】その1。未明〜6時ごろ寿永4年(元暦2年・1185年)3月24日、平氏は彦島にいた。 源義経、範頼を迎えて、決戦を得意の海戦に求め、全軍彦島を出て田野浦に集結した。(案内板より)

その二〜四

【左】その2。8時〜11時ごろ平氏は東流れの潮を利して、九州勢を先陣に、 三手に分かれて満珠干珠に進撃し、源氏を包囲せんとした。(案内板より)
【真ん中】その3。12時ごろ海戦にたけた平氏は源氏を圧倒した。 源氏は潮流の変わるまで時をかせがんと、死力を尽くして防戦した。 平知盛は源義経を求め、中央突破をはかったが果せなかった。(案内板より)
【右】その4。 15時〜16時ごろやがて潮が変わった。西へ流れる急潮に平氏と源氏は攻守ところを変えた。 攻撃に移った源氏は平氏の水手、舵取りを矢で射、刀で切って船の自由を奪った。 激闘数刻、平氏はついに壇之浦に滅びた。(案内板より)

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