【小峰城 その1】

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福島県 小峰城 ふくしまけん  こみねじょう
■小峰城 (別名=白河城)=見学自由
三重櫓=入場は閉館時間の15分前
(4/1〜10/31)…平日10時〜15時まで
…土日・祝10時〜17時…バラ園開園中10時〜18時
(11/1〜12/28、1/4〜3/31)…10時〜15時まで
休館=12/29〜1/3
白河集古苑=有料
駐車場=無料駐車場(9時〜22時)(2005.5.2現在)
住所=白河市郭内1
この時は、宮城から福島方面へ国道4号を走り、 白河小峰城の看板に従い、294号へ左折。 橋を渡って、コンビニを過ぎたら(信号を)右折。 突き当たる感じになったら、左折して駐車場へ。 結構看板が出ていた。

小峰城跡について (写真をクリック→拡大)
阿武隈川の南岸に面した小峰ヶ岡と呼ばれる東西に長い独立丘陵 (標高370m)を利用して築城された梯郭式平山城で、白河城とも 呼ばれている。小峰城は、南北朝期の武将である結城親朝によって興国年間 (1340〜46)に築城されたのが城郭としての始まりで、以後白川結城氏の 有力な一族である小峰氏の居城だったが、永正年間(1504〜20)頃には、 白川結城氏の本城となっている。天正18年(1590)豊臣秀吉による奥州仕置きにより 白川氏が改易となって以後は、会津藩の城代が置かれ、蒲生・上杉両氏の 支配下に置かれた。現在にその名残をとどめる近世城郭は、寛永4年(1627) に初代白河藩主となった丹羽長重が、幕命により寛永6年から同9年にかけて 築城したもの。幕藩体制の確立期において外様大名から江戸城を防備する 一環として、奥州の要衝の地である白河に幕府が築城を命じたのだった。 小峰城は奥州の関門として七家21代に亘ってその役割を果してきたが、 慶応4年(1868)戊辰戦争により落城し、その大半を焼失した。 現在、本丸及び二の丸の一部約8万uが史跡として指定されているが、 当時の城郭の範囲は、東北本線白河駅の南側までを含むもので、約60万uの 規模だった。城郭の縄張りは、丘陵頂上部に本丸とその帯曲輪を設け、 東南に二の丸・三の丸を配し、その周囲には石垣と堀を巡らし、 南に大手門、北に尾廻門(搦目門)、東に横町・田町門、西に道場・会津門 が設置されていた。全体にやや不整形な五角形を呈した城郭だった。 (白河ライオンズクラブの案内板より)
白河駅(三の丸) 駐車場(三の丸) 二の丸入口の太鼓門付近?
とっても広い駐車場。 午前9時から午後10時までの利用なんだとか。 小さく小峰城が見える♪
二の丸 二の丸の小峰城祉碑 藤門跡近くに立派な門
たくさんの親子が遊ぶ。ほのぼの〜。 こちらから見るとイビツな形の三重櫓。 白河集古苑付近にもある(^^;)
藤門跡&二の丸石垣
(左)藤門跡に木製の扉が設置されていた。 (真ん中)そこから伸びる石垣♪ (右)二の丸側から見たもの。
二の丸休処 白河集古苑 空堀かな?
パンフがあるそう。行けばよかった。 結城家古文書館、阿部家名品館。月曜で休みだった(^^;)
大手門跡の礎石
大手門は、小峰城の表玄関にあたる門で、平成5年に実施した 白河駅前区画整理事業に伴う発掘調査により所在が確認された。 絵図面との照合から、調査において発見されたのは、門の北側 部分である事も合わせて確認できた。 ここに展示している礎石は、発掘調査により発見された物を、 発見時の寸法のまま移設したもの。 礎石は、上面を平坦に加工し、柱を据える中央部分には「ほぞ穴」 が設けられ、周囲には柱材のヤニの痕跡が残されている。 このヤニの痕跡から、柱の太さは門柱が62×46cm、控柱は33cm 角であった事がわかった。(案内板より)
元太鼓門跡? 白河集古苑付近の門&土塀
この辺りかな〜(^^) 左は「城山公園」右は「史跡 小峰城跡」と…。 内側から見ると土塀も。
二の丸より富士見櫓を 水堀が始まる 水堀
(左)こっちから見ると木が邪魔でダイナミックな 石垣が見えないのが残念(^^;)冬だといいのかな。

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