【会津若松城 その3】

・・・会津若松城は3ページにわたって紹介・・・  【1】 【2】 【3】  ■ ←モドル

武者走り 帯郭の北櫓跡
城内への大手門となる太鼓門の渡り櫓や、帯郭の石垣の上への 昇降が容易に出来るように、左右に分かれた石段が設けられている。 ここが「武者走り」と呼ばれ、鶴ヶ城石垣の特色の1つである。 また、地表面での占有面積も少なくてすみ、石積みについての 往時の知恵をうかがうことが出来る。 (案内板より) ちょっと場所が離れちゃうけど、本丸の北側にある帯郭の北櫓跡。この 付近に咲いていた桜も見事だった〜♪
太鼓門跡 遊女石 馬走り
北出丸から本丸に通じる大手門(追手門)のことで、 そこには多門櫓と呼ばれた櫓が建てられ、銅の径五尺八寸 (約1.8m)の大太鼓を備え、藩主の登城や非常事態、 その他の合図に使用されていたところから太鼓門と 呼ばれていた。(案内板より)
北出丸跡 北出丸西北櫓跡 北出丸東北櫓跡
寛永16年(1639)加藤明成の時、北馬出を出丸に造り替えたもので、 本丸を守る重要な出丸であった。東は二の丸と伏兵郭に、南は本丸に、 西は西出丸に濠を隔て相対し、攻防の際には最も重要な位置にあった ため、城の生命線であった。北出丸に侵入した敵は三方から せん滅することが出来るので、「鏖(みなごろし)丸」ともいわれていた。 (案内板より)
北出丸の大手門跡(上から&枡形)
ここも枡形。左の写真(真ん中は上から)から入って右の枡形へ。 左下の写真で分かると思うけど大きい(^^;)
大手門跡(北出丸側から) 大手門跡から大手前西濠&三岐濠
大手前西濠の中は、桜の花びらでピンクに染まっていた!三岐濠の写真も きれいで好き(^^)
北出丸の西門(棟門)跡 北出丸の西門(棟門)の枡形 北出丸から西門の枡形
ここは車の出入が激しくて、通るのも写すのも大変だった(^^;)
鐘撞堂
時守を置いて昼夜時刻を城下に報じていた堂で、 その鐘は延享4年(1747)若松の鋳工早山掃部介安次 (そうやま かもんのすけ やすつぐ)等の 作として知られ、鐘の撞き方は江戸流であった。 戊辰の役(1868)には、ここに西軍の砲火が集中し、 時守が相次いで斃れたにもかかわらず、開城の 最後まで正確に時を報じ、大いに味方の士気を 鼓舞した。(案内板より)
弓門跡(西中門)の枡形 桝形を振り返って 梅坂(横手坂)&弓門跡
帯郭から西出丸へ向かう梅坂(横手坂)の手前の門。 桜で見えないけど、左の写真の正面石垣上に鐘撞堂がある。
梅坂から西出丸跡の間の門跡 西出丸跡 鐘撞堂下三角濠
■西出丸跡・・・寛永16年(1639)加藤明成が本丸の防備を強化する為に 西馬出を改造し築いた郭で、総面積は5,100坪余(約16,860u)。 西出丸から北側に出る門が搦手門で、西追手門とも 呼ばれ、南には内讃岐門が置かれていた。西北隅と西南隅の石垣 角には二重の塗込櫓があり、内部には蝋蔵、漆蔵などがおかれ、 南側に一棟の番所があった。(案内板より)
西出丸西北櫓跡 西出丸西南櫓跡 南町通り濠
西出丸跡は駐車場になっていてトイレもある。勿論、 使わせてもらった(笑)ありがたや。ありがたや。


■会津若松城
以前来た事があるんだけど、桜の時期じゃなかったので、 改めて桜の凄さに感動〜!しかも天守とよく似合う(^^) 天守閣、鉄門、干飯櫓等、見ごたえあるし、門跡、桝形の 石垣の大きさ&広さにビックリする。あっちこっちにと、続く ので、紹介が前後するけど、一応まとめてみたつもり(笑) (※HP内で使用した櫓、門名は、天守内で明記されていたのを、 書き写したものです。)

・・・会津若松城は3ページにわたって紹介・・・  【1】 【2】 【3】  ■ ←モドル

【 福島のもくじ 】 上へ
下にメニューフレームが出ていない場合の、top へは→ top に戻る