武者走り |
帯郭の北櫓跡 |
城内への大手門となる太鼓門の渡り櫓や、帯郭の石垣の上への
昇降が容易に出来るように、左右に分かれた石段が設けられている。
ここが「武者走り」と呼ばれ、鶴ヶ城石垣の特色の1つである。
また、地表面での占有面積も少なくてすみ、石積みについての
往時の知恵をうかがうことが出来る。
(案内板より)
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ちょっと場所が離れちゃうけど、本丸の北側にある帯郭の北櫓跡。この
付近に咲いていた桜も見事だった〜♪
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太鼓門跡 |
遊女石 |
馬走り |
北出丸から本丸に通じる大手門(追手門)のことで、
そこには多門櫓と呼ばれた櫓が建てられ、銅の径五尺八寸
(約1.8m)の大太鼓を備え、藩主の登城や非常事態、
その他の合図に使用されていたところから太鼓門と
呼ばれていた。(案内板より)
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北出丸跡 |
北出丸西北櫓跡 |
北出丸東北櫓跡 |
寛永16年(1639)加藤明成の時、北馬出を出丸に造り替えたもので、
本丸を守る重要な出丸であった。東は二の丸と伏兵郭に、南は本丸に、
西は西出丸に濠を隔て相対し、攻防の際には最も重要な位置にあった
ため、城の生命線であった。北出丸に侵入した敵は三方から
せん滅することが出来るので、「鏖(みなごろし)丸」ともいわれていた。
(案内板より)
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北出丸の大手門跡(上から&枡形) |
ここも枡形。左の写真(真ん中は上から)から入って右の枡形へ。
左下の写真で分かると思うけど大きい(^^;)
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大手門跡(北出丸側から) |
大手門跡から大手前西濠&三岐濠 |
大手前西濠の中は、桜の花びらでピンクに染まっていた!三岐濠の写真も
きれいで好き(^^)
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北出丸の西門(棟門)跡 |
北出丸の西門(棟門)の枡形 |
北出丸から西門の枡形 |
ここは車の出入が激しくて、通るのも写すのも大変だった(^^;)
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鐘撞堂 |
時守を置いて昼夜時刻を城下に報じていた堂で、
その鐘は延享4年(1747)若松の鋳工早山掃部介安次
(そうやま かもんのすけ やすつぐ)等の
作として知られ、鐘の撞き方は江戸流であった。
戊辰の役(1868)には、ここに西軍の砲火が集中し、
時守が相次いで斃れたにもかかわらず、開城の
最後まで正確に時を報じ、大いに味方の士気を
鼓舞した。(案内板より)
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弓門跡(西中門)の枡形 |
桝形を振り返って |
梅坂(横手坂)&弓門跡 |
帯郭から西出丸へ向かう梅坂(横手坂)の手前の門。
桜で見えないけど、左の写真の正面石垣上に鐘撞堂がある。
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梅坂から西出丸跡の間の門跡 |
西出丸跡 |
鐘撞堂下三角濠 |
■西出丸跡・・・寛永16年(1639)加藤明成が本丸の防備を強化する為に
西馬出を改造し築いた郭で、総面積は5,100坪余(約16,860u)。
西出丸から北側に出る門が搦手門で、西追手門とも
呼ばれ、南には内讃岐門が置かれていた。西北隅と西南隅の石垣
角には二重の塗込櫓があり、内部には蝋蔵、漆蔵などがおかれ、
南側に一棟の番所があった。(案内板より)
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西出丸西北櫓跡 |
西出丸西南櫓跡 |
南町通り濠 |
西出丸跡は駐車場になっていてトイレもある。勿論、
使わせてもらった(笑)ありがたや。ありがたや。
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