岐阜県 苗木城 |
■苗木城(別名=赤壁城)=見学自由 駐車場=無料駐車場 (2007.10.6現在) |
住所=中津川市苗木 この時は、中央自動車道 中津川I.Cを下りて、 国道19号へ。少しして左の国道257号へ。 青木信号で国道257号が左になって、 そのまま進んで、中津川道路(有料道路)を通り、 城山大橋を渡り終えて右折(確か、看板があった気が…)。 道なりに進んで、苗木遠山資料館を過ぎてすぐ右に行き、 砂利道を通って、左側の駐車場(駐車スペース?)にとめた。 ここからすぐ近くに苗木城の入口があった。 |
赤壁城の伝説 |
---|
苗木城は木曽川の絶壁に建てられた立派な城であった。
白壁が夕日に輝いて、なかなか品のある城であった。
所がある日、耳をつんざくような雷が鳴って、
激しい雨が降った。昼であったが夜のように暗くなり、
木曽川は怒涛さかまき白い牙をむくように、荒れ狂った。
丸一日吹き荒れた嵐も過ぎて、城下の人たちが驚いた。
真白であった城の壁が何かで引っかいたような、爪の跡で
赤くはげてしまっていた。
大勢の左官が召し集められ、修理されたが白い壁になると、
嵐が来てまた赤くなってしまう。何度塗り替えてもだめだった。
殿様も城下の人々も、白壁に塗ると木曽川から白い色を嫌う
竜が来て、かきむしってしまうのだと信じて、それ以後は、
赤壁に塗り、城の東に竜神様を祀り、竜神を鎮めた。
それ以後、赤壁城と言うようになった。
現在も、苗木城跡東側の岩窟に、竜神神社が祀ってある。
(案内板より)
他にも、中津川道路には、上記の「赤壁城の伝説」が 書かれた説明板もある(^^) |
||
苗木城の入口 | 苗木城入口を振り返って | その先(右側が足軽長屋跡) |
---|---|---|
1番近い駐車場からだと、すぐ入口があるのでラク♪ しかも、すぐ足軽長屋跡だし(^^)右の写真奥が風呂屋門跡。 | ||
足軽長屋跡(左)&龍王院跡(右) | ||
■足軽長屋跡…石垣によって造成された約30m程の広場には、
足軽の宿泊施設のほか、「小頭部屋」・「稽古場」等、
数棟建ち並んでいた。足軽が城に出仕(勤務)する場合、
最初にこの長屋に立ち寄ることになっていた。(案内板より)
■龍王院跡…足軽長屋の南側隣地に「光耀山金厳寺龍王院 (こんようさんきんげんじりゅうおういん)」 という領主遠山家の祈祷所があった。真言宗の寺院であったが、明治維新の 廃仏毀釈運動にて、神職が支配するところとなった。(案内板より) |
||
先には巨石 | 途中には石垣も… | 二の丸へ向かう道 |
迫力ある巨石!その近くに石垣も。 その道の横にも、空堀っぽい物を隔てて、二の丸へ向かう道もあった。 | ||
風吹門跡 | ||
二階が、「飼葉蔵(かいばくら)」として使われていた
風吹門は大手門とも呼ばれ、城下から三の丸への
出入口に位置する。門の右側(南側)に門番所が
併置され、昼夜を問わず人の通行を監視していた。
城主の在城時は開門し、江戸在府中は締め切られ、
右側の潜り戸が利用された。(案内板より)
|
||
大矢倉跡 | |
---|---|
大矢倉は、外観からは二層に見えるが、実際は三階建てであった。
一階は三方を石垣で囲われ、倉庫として使われていた。
苗木城最大の櫓建築で、2階、3階の壁には矢狭間が設けられるなど、
大手門である風吹門や北側からの防御のために作られた。
(案内板より)
凄い石垣(≧▽≦)(右上=裏側から。 左=大矢倉上。右=上から三の丸。) |
||
北門跡 | ||
---|---|---|
城の外郭にあった土塀付きの門で、門番はいなかった。
城の入り口にある風吹門から見て、北側にあたる門で
あるから名前がついていた。
ここから先、東側に下ると木曽川に、また北側の
道は家臣の屋敷群跡に通じる。
北門の脇にある小池は、雨水が頼りの貯水池で、
馬の飲み水に利用されていた。
(案内板より)
|
||
駈門跡 | ||
(左&真ん中)外側からで、左側の石垣の雰囲気が物々しく感じる…。 (右)内側から見たもので、かなり急な道に。 | ||
駈門跡(大矢倉側から) | 牢屋跡 | |
■牢屋…苗木城には1つの牢屋しかなく、三の丸と二の丸を区切る 大門の左側奥にある。建物の規模は、2間、4間ほどの大きさで、 日のあまり当たらない大きな岩の上に建てられていた。 明治初年頃に起きた苗木藩の戦争の際には、多くの上層武士達が、 この牢屋に収監され、処断された事件が起きている。 (案内板より) (右)近くの石垣に穴が…。 | ||
大門跡(だいもんあと) | 苗木城跡石碑 | |
■大門跡… 苗木城の中で一番大きな大門は、二階建てで、 三の丸と二の丸とを仕切っていた。 門の幅は2間半、二階部分は物置に利用されていた。 領主の江戸参勤出立時などの大きな行事以外は開けず、 普段は、左側(東側)にある潜り戸を通行していた。 (案内板より) | ||
【 岐阜のもくじ 】 | ■ 上へ ■ |