【左】貯水槽。雨水を取水し、雑用水に使用していた。
総貯水量 21トン。(案内板より)
【真ん中&右】長太夫灯標旧灯ろう。因島市細島の北方にある長太夫灯標に使用されていた
灯ろうである。灯ろうは、内部に設置されるレンズ、
灯器を保護する役目をしている。(案内板より)
灯台へ向かう手前の海への階段を下りると、砂浜から灯台や検潮所を見ることができる(^^)
【左】灯台へ向かう階段。
【右】検潮所。
【右】因島大橋が素敵に写すことができたから、霊山寺まで来てよかった♪
【パノラマっぽく加工】 海や砂浜がきれいだった〜!天気がいいから凄く気持ちが良くて、なんか得した気分♪
因島八景の碑の上には桜が満開!ふわふわと八重で、とってもきれいだった! ピンクが可愛い(≧▽≦)♪
【右】航路標識の歴史。因島八景の石碑の所から、航路標識の歴史(右の写真)を追って階段を下りると、 灯浮標(左の写真)があった♪
■灯浮標…船舶に暗礁、浅瀬等の障害物、安全な航路を示す為に海上に浮かべた航路標識で、 光を発する物を灯浮標という。安全な航路を示す為、港に向かって左側が緑色(緑色の光を発する)、 右側が赤色(赤色の光を発する)にそれぞれ塗ってある。 大きい方がL-I型で一般的に深い所に、小さい方がL-U型で浅い所に使用されている。(案内板より)
昔、尾道に住む漁師が四国へ漁に出ての帰りに、1人の旅僧から「どこでもよいから舟の着いた所へ降ろして貰えないかね」 と便乗を頼まれたので、快く舟に乗せ、途中何事も無く、大浜の現在灯台のある浜辺へ降ろしました。旅僧は、厚く礼を言って上陸しました。 漁師は見るともなしに振り返ると、たった1人乗せたはずの旅僧がみるみるうちに増えて、88人の僧が次々に上陸して行きました。 この話は人から人へ伝えられ、弘法大師が因島へ渡られたのだという噂が広まったのでした。その後も奇跡的なことが度々あったので、 明治41年因島の全村が話し合い島四国として、因島八十八ヶ所の霊地を設けることになり、全島民の奉仕で作られました。 この巡拝路程は84km(約21里)で、3日間のハイキングコースに絶好、旧3月21日を中心に附近の島々や、遠く岡山県方面からも大師の御道徳を偲び、 村上水軍の遺跡や美しい島の周りの景色を訪ねつつ、島人の厚い情にひたる参拝客も多い。(案内板より)
大浜埼灯台 2009.5.1記
春らしく、鶯の声を聞きつつなだらかな坂道を歩いて、約3分で到着。
航路標識や関係する物が色々置かれ、「航路標識の歴史」の説明板につられて階段を下りていくと灯浮標や霊山寺があるんだけど、因島大橋がいい感じだった♪
大浜埼灯台記念館、海も素敵だし、灯台だけじゃなく色々と楽しめてよかった♪
(写真)途中で見かけたでっかい恐竜!案内板にも載っていた(^^)