本丸の東北隅櫓台(二重櫓) | |
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年末年始はは入れないから、こうやって 外から本丸を楽しむしかなく(笑) でも、見るだけあるしいっか(^^;) | |
厩口門 | |
上のも右の写真も、何だか煙がでているみたい(笑) | 厩口門の左側に、鉄の棒?が付いた天守台が見える。 |
東横矢桝形 | 東仕切門跡 | |
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堀の水の色具合がいい感じ(^^) | かつては二の丸を南北に区切る石垣があり、 これに小門が東に面して設けられ、 透シ門とも呼ばれた。東仕切門の北側に作事小屋、 南側に馬場があった。 (標柱より) | |
刎橋門跡 | ||
刎橋門跡&天守台 | 南横矢枡形 |
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天守台(天守閣は作られなかった)がピョコッと見える。 | 堀にブツブツと見えるのは、蓮。季節が冬だけに…。 |
米蔵 | ||
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米蔵は、米など穀物の集積所または備蓄倉庫として、城内に建てられた。 古絵図や古文書などによると、かつてこの場所に二棟ないしは三棟の米蔵が 建っていたと記されている。 赤穂浅野家断絶時の赤穂城請取の記録によると、二の丸米蔵には千二百四石四斗 (四斗俵で三千三十六俵)の残米があったと記されており、いかに大きな建物であったか がわかる。 現在の姿は、発掘調査で出土した一棟を盛土によって保護した上、外観を復元的に 休憩所として整備したものである。内部の側面には、米俵の荷ずれ防止の為、 「荷ずり木」をはめ込むなど、往時の蔵内部が理解できるつくりとなっている。 (案内板より) | ||
水路跡 | 花見広場 | |
水手門 | |
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瀬戸内海には、三原城や高松城など、海や川を巧みに取り入れて防御や 水運を利用した平城の海賊が多数見られる。 かつて赤穂城は、古絵図に見られるように、東に熊見川(現在の千種川)、 南はヨシ原が広がる干潟に面しており、満潮時には海水が石垣まで迫っていた。 水手門には、物資を運んできた船を泊まる為の「船着場の雁木」や船を波から守る 「突堤(波止場)」など、海賊のと苦情を伝える貴重な施設が、発掘調査などに 基づき復元されている。ここから搬入された米などの物資は、二の丸内の蔵に 蓄えられ、藩の財政を支えたのである。(案内板より・発掘写真も) | ||
礎石 | 突堤 | 船着場 |
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水手門にいた黒鳥 | ||
最初1羽かと思ったら。 | 2羽いた。日向ぼっこでスヤスヤ。 | でもこっちが気になるみたい。 |
ここから南沖櫓台見ると | こんな感じ |
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天気がいいからどんなアングルも撮りたくなる(^^) | 石垣が角々してなくて、丸いのが面白い(^^) |
南沖櫓台(二重櫓) | |
水手門から西側に延びる曲面を描く城壁の先に位置する二重櫓で、 その基底部は東西四間二尺、南北三間四尺の規模を持っていたというが、 この櫓も現在は櫓台の石垣を残すのみである。(標柱より) | |
潮見櫓台(二重櫓) | ||
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二の丸東南隅に位置し、潮見櫓と呼ばれた二重櫓が存在した。 現在は櫓台の石垣のみが残されている。南沖櫓とともに海上監視の為の 櫓で、城南面の守りを固めていた。 (標柱より) | ||
赤穂城南緑地 | 2006のじぎく兵庫国体ののぼり | 黒鳥 |
あ、鳥小屋もあったんだよ。 | とっても可愛いのぼり(^^) | 水手門で日向ぼっこしてた鳥だね。 |
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