置塩城
(案内板の写真をクリック→拡大)
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室町時代に播磨守護職であった赤松氏の居城。
標高370mの城山の山頂部に位置する播磨最大規模の
山城跡である。遺構は東側の城内最高所に当たる
伝本丸跡と、そこから鞍部を隔てた西側の伝二の丸
跡を中心に広がり、曲輪・通路・石垣・土塁などが残っている。
平成13〜17年度に夢前町教育委員会が発掘調査を行った結果、
伝二の丸跡で庭園とそれに面する大型の礎石建物、
伝二の丸跡の北側で曲輪群を貫く通路の遺構などが確認された。
これらは格式を意識して構築されたものであるが、
この意識は置塩城跡のプランを特徴付けるものとなっている。
また、伝本丸跡には最終段階で天守的な性格を持つ
と考えられるセン列建物を構築しており、城郭使用の
末期段階において伝本丸跡を中心とした曲輪は、この城全体の
「詰城」的な機能を持っていたと考えられる。
なお、発掘調査を通して出土した生活遺物は、
土師器皿、中国製磁器碗・皿、備前焼甕・擂鉢、瓦質
土器火鉢など1万点以上に及ぶ。
一般的に置塩城は文明元年(1469)に、赤松政則が築城したと
伝わるが、この城が居城化し大規模に改修されるのは、
16世紀半ば以降で、赤松政村(晴政)・義祐・則房が
城主であった時期に相当する。天正8年(1580)羽柴秀吉に
よる城破令が出され廃城となった。
(姫路市教育委員会の案内板より)
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遠景 |
夢前川 |
城址碑と登山口 |
(左)左側の白く写るのが愛車。
駐車場が広いので、とっても安心。
(右)城址碑の右側に登山口がある。
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登山口の「十八丁」石碑 |
登山道 |
炭焼窯跡 |
登っていく間、こういう石碑が、
十八丁までポツポツ置かれていた。
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地面に石がゴロゴロ埋まってて、
歩きづらい道が続く…(^^;)
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25分歩いてここに…。
昭和初期のものなんだとか。 |
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分岐点 |
南曲輪群 |
土塁 |
炭焼窯跡から約10分。ようやく城跡に到着(^^;)
まず、南曲輪群へ。真ん中の写真から見た土塁には、大きな石が。
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南曲輪群。(左)上で紹介した曲輪から下の曲輪を。
(真ん中)その下の曲輪から土塁を。
(右)南曲輪群を見上げて。
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細い道を進み… |
「十八丁」と石垣 |
茶室跡 |
南曲輪群の素敵な土塁を堪能した後、細い道を進むと
「十八丁」に到着。本丸までかと思ってたら、茶室跡まで。
その石碑横に、少し石垣が残ってた♪立てかけられているのは、
説明板でなく「お願い」。
茶室跡は広かった〜。
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置塩城址の棒 |
茶室跡の土塁 |
分岐 |
(左)茶室跡に立つ城址の棒。
(真ん中)多分、茶室跡を囲んでいた土塁。
(右)正面が二の丸で、右に進むと本丸。
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二の丸北曲輪群土塁 |
曲輪跡 |
本丸下石垣 |
分岐から東へ進むと、二の丸北曲輪群の土塁と
本丸の間がかなりあいてて、空堀のような雰囲気の曲輪跡が!
足元には、ブルーシートや石がゴロゴロ。本丸側には石垣も残ってて、
おお〜っ!って感じで嬉しくなる(^^)
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本丸へ |
振り返って |
景色 |
さて、本丸方面へ。本当にこっち?みたいな両脇が草で
ワシャワシャな道を進んでると、途中で、木々の間から、
こんな景色が♪
ちなみに、本丸からこの方面の景色は、山の頭が見えるくらいで
微妙だったから、こっちを紹介。
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本丸南曲輪群 |
本丸と本丸南曲輪群の分岐があるけど、その先は藪…!
(右)本丸から見下ろしても、行けそうな雰囲気ではなく…。
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