二の丸・北北西・北西二重櫓跡 | 二の丸・三重櫓跡と犬走り | |
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三の丸から。 (左)北側から見た二重櫓跡。 (真ん中)北北西から。夕日に照らされた石垣が素敵! (2008.11.1撮影) | ||
二の丸・南西二重櫓跡 | ||
(真ん中)三の丸から。二の丸・南西から西側の石垣を。 (右)とってもきれいな勾配♪ (左を除く=2008.11.1撮影) | ||
(左)二の丸・南西二重櫓跡の刻印。 (真ん中)二の丸・南西から埋門へ。 ここは、刻印がいっぱい!(2008.11.1撮影) | ||
埋門跡 | ||
(左&真ん中&左下)外側から。「三左之内」の刻印は、 左側の石垣にある(^^)(2008.11.1撮影) (右)二の丸側から。 | ||
埋門周辺の石垣には、篠山城内で
最も多くの符号、刻印がある。
なかでも、埋門石垣南門に残る
「三左之内」の刻印は、篠山城築城
時に普請総奉行を務めた、池田
三左衛門輝政の名を印したものと
言われている。(案内板より)
(左)埋門から本丸の石垣(正面)。 二の丸の石垣に、水抜きの様な物も。 |
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本丸 | ||
ここは、篠山城の最後の砦となる本丸跡。築城当初は現在の二の丸が本丸、 現在の本丸は南東の隅に、天守台が造られたことから特に殿守丸と呼ばれていた。 天守台の大きさは東西約19m、南北約20m、約380uの広さ。天守台石垣は 本丸内側からの高さ、約4m、外側の南と東側犬走りからの高さ約17mで、篠山城で 最も高い石垣である。天守閣は築城の時に建築が中止され、代わって天守台南東隅に、 二間四方(4m四方)の一重の隅櫓が建てられた。 本丸の周囲は天守台と南西隅・北西隅・北東隅の3ヶ所に二重の隅櫓を建て、 間を多門櫓でつないで内部を囲んでいた。二の丸には大書院を始めとする 御殿が建てられたのに対して、本丸には御殿などの建物は無かったようだ。 本丸内の北側中央にある一の井戸は岩盤を掘り抜いたもので、深さ約16m(内水深8m) で、掘るのに2年もかかったと伝えられている。(篠山市教育委員会の案内板より) (右)左側が三の丸・南側と内濠。正面端が天守台で、 それまでが多聞櫓跡。 | ||
本丸北東・隅櫓跡 | ||
(真ん中)左奥が本丸北東・隅櫓跡で、右手前が二の丸北東・二重櫓跡。
(右)二の丸から。 (左を除く=2008.11.1撮影) |
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天守台(南東に隅櫓跡) | ||
本丸(殿主丸)南東部の城内で最も高く、奥まった所に位置し、
石垣の高さ約17m、平面規模は東西約18m、南北約20m。
築城(1609)時に、天守閣は江戸幕府の指示で、城郭が
堅固すぎるとの理由で建築を中止、代わって南東隅に二間四方(4m四方)
単層の隅櫓を配置し、東面と南面に土塀を巡らせた。
東方に丹波富士と呼ばれる中世山城の高城山(八上城跡)が
美しい姿を見せている。(篠山市の案内より) (左)三の丸・南側より。天守台は右側。 (左のみ=2008.11.1撮影) (下真ん中)三の丸東側。正面ポコッとした山が丹波富士の高城山(八上城跡)。 下では運動会の最中だけど、赤白だけで競わないんだねぇ(@@)! (右下)三の丸南側。左奥が、三の丸・南東隅櫓跡方面。 |
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三の丸(北〜南西) | ||
(左)駐車場でもある三の丸・北側から二の丸方面。 (真ん中&右)二の丸から、三の丸・北西と南西を。 | ||
三の丸(南) | 三の丸(東) | 北外濠 |
(左)天守台から三の丸・南側&内濠&外濠。
(真ん中)天守台から。工事中の内濠。(2008.11.1撮影)
(右)見える建物は、市役所の本庁(右側)と第2庁舎(左側)。 景観を損ねない外観がいい感じ♪ |
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東外濠 | 東門跡(正面が東馬出跡) | 東馬出跡から東門跡 |
東馬出跡(周りに東馬出濠) | ||
篠山城では、北(大手)、東、南の三ヶ所に出入口があり、この所を 凹字形の堀と塀で囲んで、城門への通路を複雑にしていた。 これが馬出と呼ばれている施設で、ここにあらかじめ兵馬を繰出しておき、 いざという場合に馬出の門を開いて、打ち出す溜り場となったり、また 武将がそこまで乗出して寄手の軍状を見張る所でもあった。 (篠山市教育委員会の案内板より) | ||
南馬出跡 | ||
左と右の写真は、南馬出(真ん中)の土塁をぐるりと囲んだ南馬出濠。土塁が青々してきれい(^^) | ||
ここから南門跡へ? | 南西隅櫓&南門跡?(パノラマっぽく。南門跡は、右の写真。) | |
二の丸御殿跡から見た南門跡部分は、恐らくここだろうと。 南馬出も後ろに控えているし。写真だと見えないな(^^;) | ||
小林家長屋門 | 西北の隅櫓跡かな? | |
茅葺入母屋造りで文化年間(1805)頃、篠山藩主青山下野忠裕(ただやす)が、 老女小林千衛のために改築した長屋門である。城の西堀に面して風光と 展望し得る物見の間に、見晴らし窓を設け、南に曲り家を取り付けた 住宅兼用の独特な長屋門形式が創建当初の姿を残している。 (案内板より) | ||
高城屋敷門(八上城の屋敷門) | 大手馬出跡 | 大手門跡 |
大手馬出跡には土塁が残っていたけど、大手門跡はここ辺りかな〜って 感じで写した。何か案内が欲しいなぁ。 | ||
■篠山城…2008.11.1記
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