【笠間城 その1】
・・・笠間城は2ページにわたって紹介・・・
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茨城県 笠間城
いばらきけん かさまじょう
■笠間城(別名=桂城)=見学自由
駐車場=無料駐車場 (2009.10.12現在)
住所=笠間市笠間(佐白山)
この時は、北関東自動車道 友部I.Cを下りて、 友部I.C入り口信号を、国道355号へ左折。 そのまま走って、右側の笠間小学校を過ぎて、 国道355号が左折になる信号を直進、 次に右折(案内板あり)、後は案内板に従って 佐白山へ向かう。
笠間城
(小さい案内板をクリック→拡大)
ここ佐白山は、古くから正福寺や百坊があって、 信仰の山として栄えていた。 鎌倉時代の初め、正福寺と徳蔵寺の勢力争いの為、 下野国からつかわされた藤原時朝が、正福寺と百坊を滅して 城を築き、笠間氏を名乗ってこの地方を支配した。 笠間氏は18代続き、天正18年(1590)に亡んだ。 その後、蒲生、松平、小笠原、永井、浅野、井上、本庄などの 諸氏が相継いだが、延享4年(1747)から廃藩まで、
牧野氏の居城となった。明治初年、本丸下屋敷などの殆どが 壊され、今は苔むす石塁を残すのみとなったが、自然の 要害をたくみに利用した関東地方では珍しい山城の遺跡である。 城の地積は、およそ1万6千uと推測されている。 (笠間市・笠間市観光協会の案内板より・絵図も)
笠間城主下屋敷跡
屋敷跡は、山麓公園になっている。
城郭風の笠間日動美術館。
この付近の案内板。
大黒石&堀切
鎌倉時代の初め、佐白山の僧兵と、七会の徳蔵寺の 僧兵がその勢力を争って戦った。佐白山の僧兵は 戦いに敗れて佐白山頂近くまで逃げ延び、山上にあった 大黒石を転がした。徳蔵寺の僧兵は、転げ落ちる大黒石
の下敷きになり、多くの死者が出たため、佐白山の僧兵は、 危うく難を逃れる事が出来た。大黒石は、その時ここまで 転げ落ちて止まったといわれている。 その大黒石の中ほどに小穴があり、大黒のおへそといわれ、 このへそに小石を三度続けて投げ、そのうち1つでも入れば、 幸せがあると伝えられている。 (笠間市観光協会の案内板より)
(左)道路脇にどーん!いわくありそうなのに幸せ? (右)大黒石の少し先の左。
笠間百坊旧跡
千人溜り跡
千人溜り跡・虎口
千人溜り跡へ向かうと跡が。
反対側の千人溜りへ。
急坂!正面が、笠間百坊旧跡。
千人溜りから大手門へ
千人溜りは駐車場になっている。
駐車場奥から大手門へ。
←を進んで、振り返ると石垣が。
大手門手前の土橋
写真真ん中辺りが土橋。
両側に堀切が。
ちょっと見えづらいなぁ。
大手門跡
玉滴ノ井
右側の石垣は三ノ曲輪。
振り返って。礎石がポツン。
鬱蒼とした中の井戸は怖い。
三ノ曲輪
旋回用の道路が…。右上に写る→
大手門跡側から石垣を。
三ノ曲輪から二ノ曲輪・本丸へ。
二ノ曲輪から本丸へ
門跡?なんて石段を上がり…。
この付近が二ノ曲輪かな?
←を上がり終えて、本丸の土塁を。
本丸・玄関門跡
1番最初の写真もここ(^w^)
←の写真の右側の石垣を♪
本丸から。何も無さそう…。
本丸
玄関門から入ると、奥に土塁が!
←の土塁、高さがあって長〜い!
土塁上(八幡台櫓付近)から。高っ。
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