【守谷城 その2】

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守谷城の地図いろいろ (写真をクリック→拡大) 守谷城祉内郭図(一部推定復元)
守谷城祉公園の駐車場 駐車場から歩いていくと… 守谷城祉公園石碑
入口付近の反対側 御馬家台と橋台 空堀の道
御馬家台と平台との間の堀 もうちょっと近付いて…
凄い凄い!!どんどん続いていく空堀。 木漏れ日もなかなか素敵(^^)でも、右側はちょうど陰ってしまった。
城址の現状と遺構・遺物
守谷城の城山部分の縄張りは、大別すると6ヶ所の主要郭と複数の小郭(腰曲輪・帯曲輪) から構成されている。主要郭間は堀と土塁によって区切られ、郭内外への出入口である 「虎口」や「枡形虎口」・「橋跡」・「土橋」等のほか、城外の監視や戦時の指揮所としての 「櫓台」が残されている。 現在地は通称「平台」と呼ばれている郭跡で平成7年に発掘調査を実施し、 数多くの遺構と遺物が発見され、倉庫と考えられる9棟の掘立柱建物跡が 発見された。 検出された遺構はすべて同時期のものではなく、何回かの立替えが行われ た結果で、時期変遷をうかがわせる検出である。 主な出土遺物は、瀬戸・美濃産(愛知県瀬戸市、岐阜県多治見市、土岐市付近) の茶碗・天目茶碗・皿・向付・すり鉢などの小型陶器類、常滑産(愛知県常滑市) の甕などの大型陶器類、伊万里(佐賀県有田町)や中国産の磁器片等で、器以外では 鉄砲弾(鉛製、鉄製)・小刀・古銭・煙管(きせる)や土製の犬型ミニチュア等の 玩具品が出土している。(案内板より)
■伝説として平将門が守谷城を築城したと伝わっているが、平安時代の館跡の 存在を裏付ける根拠は見られず、立地条件から考えてもその可能性は低いと おもわれ、平将門伝説は将門を祖と称している相馬氏と北相馬郡ととの 強い結びつきの現われと考えられる。(案内板より)
橋台の土塁? 矢倉台(左=右の虎口から入ってきて、右=矢倉台。)
平台(主郭) 平台(土塁)
平台(土橋に行く前に振り返る) 土橋 土橋の右側の空堀
なかなか深い堀にかかった橋。こういうのを見ると、 大きかったんだなぁ〜とか実感したりする。
土橋を渡って、平台を見る 土橋を渡って下りると… 空堀がもう1本
空堀から見上げる 空堀の後、城祉周りを歩いてみる
右側に行っても公園に続いているんだろうけど、外を回ってみた。 一段と高くなってるのは昔からなのかな。 細い道で区切られているから、堀があったのかな。
城祉公園の下はこんな感じ(少しパノラマっぽく)
途中で平台下から 上って… 振り返って…
少し平坦な道になって 平台へ続いていく 平台から虎口を見てみる
ここを歩いていると、少し広く感じたから、 帯だか腰曲輪があったのかな。 高い土塁の虎口。
その虎口の土塁 虎口から見た平台 少し離れたもう1箇所の駐車場
(真ん中)平台に戻ってきた(^^) (右)こっちの駐車場は広いしトイレも広い。

■守谷城
最初は書いたアクセスよりも手前から入ったんだけど、なかなか探し出せず、結局 書いた通りに行くと難なく行けた。なんだ。こっちから行けばよかったのかって感じ。 まず、助手席に乗っていたからか、左の城祉碑が目に入った。右の小学校の中の 平将門城祉碑。でもこっちは、もどかしいほどフェンスが邪魔(^^;)くぅ。どうしようも ないのか…。その後、小学校周りを歩いたんだけど、なかなかいい雰囲気(^^) 「この辺も名残なのかなぁ〜」なんてテクテク歩くには、いい感じだった。それから、メインの 守谷城祉公園の堀!!どんどん続いていく様は、おおおおおっ!と感動。 やっぱりこういう土塁&堀が残っているのは嬉しいなぁ〜。自然に残っている感じがいい。 散策するにも気持ちよく、遺構を感じるのも素敵な気分になる城祉だった。

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