【花巻城 その1】

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岩手県 花巻城 いわてけん  はなまきじょう
■花巻城(別名=鳥谷ケ崎城)=見学自由
■花巻小学校付近、他いろいろ
駐車場=薬研堀跡に無料駐車場
                   (2007.9.23現在)
住所=花巻市城内
この時は、東北自動車道 花巻南ICを降りて、 花巻市外方面へ左へ。 次に、県道12号を左折、そのまま走って国道4号へ左折。 花巻市役所の看板を左折し、少し走ると 左に神社があって、そこを過ぎてすぐ右に、 薬研堀跡が駐車場となっていた。この日は、花巻小学校が 休みだったので、直接、車で向かったけど、城跡が広域だから どこから攻めようって感じ(^^;)

花巻城 (小さい案内板の写真をクリック→拡大)
花巻は、北上平野の中心にあって、北は盛岡に、南は黒沢尻(北上)に、 東は釜石地方に通じる地にある。そのため、花巻城は仙台藩との 藩境に近いこともあって、盛岡藩としては重要な場所であった。 康平5年(1062)前九年の役で、安倍貞任が北へ(厨川の柵)逃れる 途中に、鶴脛(つるはぎ)の柵(城)があったと、記録されている。 一説では、鶴脛の柵は稗貫郡にあって、後の鳥谷ケ崎城(今の花巻城)で あったのではないかとも考えられているが、詳しいことはわかっていない。
その後、13世紀頃から16世紀頃まで、約400年間、稗貫氏がこの地方を治め、 永禄年間(1558〜1570)に、鳥谷ケ崎城に本拠を移したとされている。 天正18年(1590)稗貫氏は、豊臣秀吉の小田原城攻めに加わらなかったため 領地を没収され、翌天正19年(1591)南部氏の一族である北秀愛 (きたひでちか)が、稗貫・和賀二郡の8千石の城代となり、 鳥谷ケ崎城を花巻城と改めた。 北秀愛の死後、父の北信愛(きたのぶちか…後の北松斎 (きたしょうさい))が、慶長3年(1598)2代目の 花巻城代となって、花巻の発展に力を尽くし、花巻開町の祖と 呼ばれている。
慶長19年(1614)南部利直(としなお)の庶子南部政直(まさなお)が 稗貫・和賀2万石の花巻城主となったが、故あって寛永元年(1624)に 非業の死を遂げ、以降は藩士が交替で城代となり花巻城を治めた。 花巻城は、高台と川を利用した平山城という形式で、さらに台地と つながっている西側にもお堀を巡らせた守りの堅い城であった。 慶長5年(1600)の和賀一揆の際に、北松斎は僅か10数名で500とも 言われる敵を退けたことからも、花巻城の堅い守りがうかがえる。 規模は、東西約710m、南北約500mにもなり、北から本丸、二の丸、 三の丸からなる梯郭式城郭構造となっている。 明治元年(1868)に開城となるまで、伊達藩境にほど近い要衝として 南部藩の拠点となった。 (案内板より・絵図も)
後川(西御門も少し) 鳥谷ケ崎公園 西御蔵跡方面(コジマ電機)
左の写真の川の上方に、西御門が見える(^^) 写真だと、厳しいかな(笑) 付近の大型店舗側からだとよく見える。
早坂御門跡
花巻城の二の丸に建立された楼門で、参勤交代などの時の 一日市町・四日町への往来の公道の門であった。 門の近くには早坂稲荷社、また坂の下には西御蔵・舟渡場、 また八幡寺林通り代官所などがあり、城下の一日市町の 人口には、他国の大名・幕府役人など公賓が宿泊した 東・西御仮屋などがあった。 なお、「広隆寺日記」によれば、築城創期には盛岡城への 往還、大手口の御門であったと伝えられる。 (案内板より)
郡代屋敷跡(花巻小学校) 御亀堀跡(花小プール) 土塁
休日だからこそ見学出来る雰囲気。
いくら城跡見学でも気が引ける…。
左側に写るのがプール。
堀跡が水物っていうのも粋な(笑)
御亀堀跡の奥の土塁。
ちゃんと案内棒も立ってた(^^)
中御門跡 濁御堀跡方面(花巻病院駐車場)
花巻城二の丸の正門で、この門の北側には亀堀、南側には深い 薬研堀があった。二の丸には、稗貫・和賀二郡の行政を 執務する御役屋(現在の花巻小学校付近)があった。 また、ここには南御蔵(同校校庭の東側付近)・馬場 (同西側付近)・御厩・御作事奉行役屋・鐘堂・煙硝蔵などが あったほか、門の西向には、文武の稽古場であった藩学校の 揆奮場が設置されていた。(案内板より)
  両側に、写真の様な小学校の門の 仕切りがあるから、躊躇してしまった。
中御門跡付近から見えたから、
少し遠いけど、写してみた(^^)
揆奮場跡(付近?) 二の丸(花小校庭&武徳殿) 花巻幼稚園
道路左側付近かなぁ?
正面に見えるのが花巻小学校。
(真ん中)花小校庭で、正面に見えるのが武徳殿。
中御門跡の説明によると、馬場跡や稽古場跡などいろいろあったらしい。
鍵御堀跡 長屋前御門跡 御長屋跡
さて、小学校と反対側の本丸へ。それにしても、緑色が凄すぎて、 ごちゃごちゃに写ってしまった(^^;)
西御門(復元)
花巻開町を記念して、平成6年度に復元された。 木造2階建て、「枡形脇戸櫓門」と呼ばれる門である。
復元して貰えるのって嬉しいなぁ。 本丸側から見ると、雰囲気が違って いい感じ(^^)右下は、この付近からの景色。

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