本丸 | 三社跡 | 井戸跡 |
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■御殿跡…花巻城の本丸は、北と東は断崖の下に深い
瀬川が流れ、西と南に御堀を擁し、花巻城払下げ記録によれば、
周囲は158間(約284m)の鉄砲狭間のついた築地塀・45間(約81m)の
板塀をめぐらした堅固な城であった。 この本丸の中央には、藩主が参勤交代などで、花巻を通るときに 御休泊した御殿があり、松の間・菊の間・桐の間など、 その面積は187坪(約617u)であった。 花巻城は、明治2年(1869)、廃城となり、同6年民間に払い下げになった。 (案内板より) |
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御武具蔵跡 | 菱櫓跡(東側) | 御台所前御門跡 |
周りの土塁がとっても素敵!低いものから高いものまである。 それにしても、なぜそんな所にって場所に休憩所が…。 | ||
関係ないけど… | 御囲殻御蔵前御堀跡 | |
左は、御台所前御門跡の横にあった土塁の切れ目。 関係ないみたいだけど、土塁の高さとか気になったので。 | ||
本丸から二の丸へ | 鐘搗堂前御堀 | 土塁 |
ここを通って二の丸へ行くと大きな土塁が(^^) それにしても、この辺って、鬱蒼としてるなぁ。 | ||
鐘搗堂跡(四っ角山) | 城址碑っぽいもの | おまけ |
城址碑っぽいものの説明を読むと、バックネット裏辺りが鐘搗堂跡だとか。 標柱も立っているとか。見るの忘れた。 | ||
御囲穀御蔵跡 | 焔硝御蔵跡 | 東御門跡(内側から) |
さて、二の丸から三の丸への東御門跡へ、車で向かったんだけど、狭〜い!
真ん中の写真の所が1番狭かった(^^;) (真ん中=壁と土塁を通り、左のミラーの所が焔硝御蔵跡で、 東御門跡へはそこを右折。) |
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東御門跡(外側から) | 薬研堀跡 | 臼堀跡 |
最初、気付かずに通り過ぎちゃったんだけど、この薬研堀跡が 駐車場になっていた(^^)東側には臼堀跡が。 | ||
馬場口御門跡 | 臼堀跡&馬場口御門跡 | 三の丸 |
臼堀跡付近の馬場口御門跡横の 道を、南に進むと円城寺門がある。 右は、鳥谷ケ崎神社付近から西を見たもの。 | ||
円城寺門 | ||
この門は、南部利直公が慶長19年(1614)二子城の
追手門を引き上げて、花巻城の搦手円城寺坂に建てたもので、
前後経歴400有余歳旧花巻城唯一の現存建物である。
また、この門は明治4年(1871)の花巻城取り壊しの際に、
北上市更木の福盛田氏が払い下げを受け、門を解体して
北上川を船で下り、自分の家の門として建て直ししたとされ、
その後、昭和7年(1932)花巻市の軍医・平野立乾氏が、
福盛田氏から円城寺門を買い求め、鳥谷ケ崎神社境内の
東南隅に移した。
ところが、戦中戦後の荒廃により、昭和30年(1955)頃には、
屋根・白壁・扉などは大きく壊れ、わずかに欅の柱だけが
当時のままで残っているだけとなり、昭和36年(1961)
市の補助金を受け、現在の場所(鳥谷ケ崎神社・南東口)に、
復元され今に至っている。
城門の形式は、木造二階建櫓門である。 一階は梁間九尺五寸、桁行二十尺、二階は梁間十三尺、 桁行二十尺で、二階は一階より梁間が大きくはみ出してある。 屋根は、木羽葺反りのない切妻造りで、箱棟の両端には、 刀法雄勁な鬼板をのせ(現在は取り外して保存してある。) 妻に梅鉢形の形魚をつけてある。 この鬼板懸板を除いては、装飾手法もなく、 単に城門たる形式を単純に組み立てたように見えるが、 そこに地方情緒を生かした素朴な建築美を発揮している。 (案内板より) |
■花巻城
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