【九戸城 その1】

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岩手県 九戸城 いわてけん  くのへじょう
■九戸城(別名=福岡城)=見学自由
駐車場=二ノ丸に無料駐車場
                   (2007.9.22現在)
住所=二戸市福岡城ノ内
(最寄は八戸自動車道 一戸IC。)
この時は、国道4号を北上して行くと、九戸城跡の 案内板が出るので、中曽根交差点で県道24号へ右折。 橋を渡って県道274号へ右へ。少しすると、 (見落としそうなので注意)左側に 小さな九戸城跡の案内板が出るので、(車1台分くらいの) その狭い路地へ左折。道なりに進むと左に九戸城跡がある。

九戸城 (案内板の写真をクリック→拡大)
九戸城を九戸氏が居城としたことが、文献に最初に現われるのは、 九戸政実より4代前の九戸光政の頃(明応年間=1492〜1501)である。 南部24代晴政公は50歳まで嫡男が無く、娘婿の田子信直が 永禄8年(1565)世子となるが、その後、晴政公に54歳で 男子晴継が生まれ、信直は一旦その地位を退いたが、 天正10年(1582)に晴政、25代晴継(13歳)が前後して死去し、 同年37歳で南部家第26代当主となった。 この時、政実は、南部26代当主の座に弟を擁したが、敗れている。 天正18年(1590)豊臣秀吉は、小田原城攻略後、奥州仕置を開始。 小田原不参陣の諸将を追放するが、仕置軍が去ると残党が蜂起し、 不穏な状況となった。九戸政実はこの機に乗じ、 天正19年(1591)年、信直に対して兵を挙げる(九戸政実の乱)。 信直は苦戦を強いられ、秀吉に援軍を求めた為、 奥州仕置軍6万余を敵に回し、九戸軍5千でこの城に 立て籠もり戦う事となった。難攻不落の九戸城に苦戦した 仕置軍は、長興寺の和尚を使者に、政実の武勲を称え、 女子供や家来の命と引換に降伏を勧告、政実はこれを受けて 開門するが、これは実は謀略で、軍勢がなだれこみ、女子供も 撫斬りにされ、九戸城は落城した。 その後、秀吉の命で仕置軍の軍艦であった蒲生氏郷がこの城を普請し、 南部信直に渡し、信直は三戸城より移り福岡城と命名、 27代利直が盛岡城に移る寛永13年(1636)に、福岡城は 廃城となった。(案内より)
県道からそれる入口 パンフレットボックス 堀跡
■大手門脇堀跡・・・九戸城の二の丸と松の丸、在府小路(武家屋敷跡)を 隔てる堀跡である。底での幅が60mもあり、日本の城跡で 見られる堀跡としては、最大級の立派なもので、 城の時期によっては水堀であった可能性もある。 (案内碑より)
車1台分の細い路地へ入って道なりに進むと、 左にパンフレットボックス、右に大手門脇堀跡の説明碑がある。
でも、パンフは二ノ丸でも貰える。堀跡は、真ん中に道路が通る状態なので、とっても大きかったのが分かる(^^)
大手門跡 大手門跡から大手門跡横の堀跡と入口
大手門跡側から見ると、左側に堀、 右側に土塁に挟まれた道が(車がいる所ね)あるけど、 こちらも遺構?
九戸城跡碑 九曜紋の幟 二ノ丸の浄化槽
大手門跡から入ってすぐ二ノ丸で、トイレがあるんだけど、 九戸城時代もしくはそれ以前に建物が建っていた場所に、 合わせて建てられたらしい。さすがに、トイレを写すのは どうかと思ったので、トイレの東側に、古い時代の堀跡の向きに合わせて 建てられたという浄化槽を写してみた(^^)
二ノ丸(パノラマっぽく加工)
三ノ丸を除くと城内最大の曲輪であり、本丸をL字型に囲む形を なしている。本丸、松ノ丸とともに直線的な造りであり、 本丸との間の空堀には石垣が築かれ、虎口は信長や 秀吉による全国統一が進行していた戦国時代末期 (16世紀後半)の築城様式である桝形とするなど 九戸城の中でも、近世的要素の強く見られる部分である。 得意に石垣は、古式穴太積と呼ばれるもので、これらは 九戸城落城後に、豊臣秀吉の命により蒲生氏郷が行った 城普請の際に、築かれた可能性が指摘されている。 (案内碑より)
見渡す限りの緑!
本丸と二ノ丸の間の堀
(右)写真上部の堀が左の写真で、堀が途切れた部分が 本丸と二ノ丸の虎口、下に続くのは東北最古の石垣の堀。
本丸への虎口(二ノ丸側から&本丸側から)
本丸と二ノ丸を結ぶ虎口は、ここと追手門の2ヶ所あるが、 こちらは古図や伝承に名称が無く、無名の虎口である。 追手門同様に桝形だが、こちらは堀が途切れる 場所にあり木橋は無く、二ノ丸と直接出入りできる形に なっており、門等の堅固な構造物があったと思われる。 平成2年度の発掘調査で、この門に伴うと思われる 礎石の一部が確認されている。(案内碑より)
本丸(右側)と二ノ丸の間の堀 本丸側から 隅櫓跡
堀を横から♪ 本丸側の石垣は二ノ丸より高さがある。右奥が隅櫓跡。 こっちからだと、二ノ丸が見えない。 石垣も見えないけど、最初から無いのかな? ←から奥に進むと隅櫓跡。 この上から見渡すと、よく見えて気持ちいい〜♪

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