【左】南嶺側の展望台から。
【真ん中】駐車場からの帰り道から。
【右】北嶺は岩盤が凄い(@@)
屋島はアカマツとクロマツからなる松林に被われている。 温暖で、かつ年間1,100mm前後と雨の少ない瀬戸内海地方は、花崗岩が風化してできた養分の少ない土壌の為、乾燥や痩せ地に強い松が生育したもの。 かつては松の純林で鬱蒼としていたが、山火事、マツクイ虫被害等で枯れた為、林内に光が入るようになり、松に代り山桜、コナラ、栗、 楓等の乾燥に強い種類の落葉広葉樹が大きく成長し始めている。(案内板より)
船を監視する見張場も、今は、平和な展望台(^^)
眺めの良いこの台地は、魚見台跡である。 この高台から海を見下ろして魚影を探し、沖の漁師にその位置を知らせた場所と伝えられる所で、 もっと昔は、瀬戸内海を行き来する船を監視する見張場でもあったようである。 この屋島北嶺には、東西に2箇所づつの計4箇所の魚見台跡が残っている。ここの標高は約280m。(環境省の案内板より)
どこを歩いていても、虫がぶら下がっていて、気が付くと服に虫がいっぱい!
松の木が少なくなって、ウバメガシの林に変わった。 周囲を見回すと岩盤が露出しているのが見えるが、この辺りは木の生育に必要な表土が殆ど無い為に、 痩せ地に強い松もなかなか生育できないほどの悪い環境化にあって、苛酷な環境に最も強いウバメガシが、かろうじて生育しているのである。(案内板より)
【パノラマっぽく加工】千間堂跡の東側の展望台より。遊鶴亭や談古嶺からは見えない砂浜が見えた(^^)
対岸の五剣山(…ごけんざん・八栗山・366.2m)で、山腹を削って切り取っている岩石は、 「庵治石」(あじいし)として灯籠などに加工されている花崗岩である。 花崗岩は、瀬戸内海地方の大地の基盤を形作っているもので、石英、長石、黒雲母からなる白黒の『ゴマ塩状』 の岩石だが、風化しやすい性質がある。昔から「白砂青松」という瀬戸内海の海岸風景を代表する言葉があるが、 この白砂とは、風化した花崗岩の石英、長石等の白い砂によってできたものである。(環境省の案内板より)
【右】千間堂跡近くの休憩所。
北嶺のこの辺り一帯は、「千間堂」と呼ばれ、現在南嶺にある屋島寺創建の地と伝えられてきたが、寺跡を示すような遺構が認められず、永らくその実態がよくわからなかた。 そうした中、踏査を続けていた高松市教育委員会では、平成12年2月に土壇を持つ礎石建物跡を発見した。 発掘調査で、土壇の中から仏具である須恵器多口が三点出土し、寺跡であることが証明されたので、 千間堂跡と判断したものである。建物の規模は東西三間、南北二間で、周辺の調査ではこれ以外に礎石を持つ建物跡が認められなかったことから、 この建物跡は仏像を安置する為の仏堂であったものと考えられる。建築年代は、多口瓶の特徴から、平安時代中期(10世紀前半)頃と考えられる。 また、奥(西側)の集石遺構は、その形態や出土した土器から、鎌倉時代に造られた火葬墓であると考えられる。(高松市教育委員会の説明板より)
【左】遊鶴亭。 【右】長崎の鼻。
ここ遊鶴亭は屋島山上の最北端に位置し、視界320度の展望を誇っている。 展望台から山道を下ると長崎の鼻に至り、高松藩によって築かれた長崎の鼻砲台跡がある。 眼下に広がる備讃瀬戸は、桃太郎さんが鬼退治をした鬼ヶ島(女木島)、 オリーブの小豆島、おむすびの様な大槌島と小槌島など、瀬戸内海国立公園の中で最も美しい風景が一望できる。(高松市の案内板より)
【パノラマっぽく加工】左から女木島、男木島。凄く気持ちよかった〜♪
本図は、「平家物語」第十一巻に記された源平の屋島合戦中、最も有名なエピソードの1つである「弓流」に題材をとっている。 勝ちにのっていた源氏勢は、船に逃げた平家の軍兵達を追って、馬の太腹が水につかるほどに海中に乗り入れて攻め戦っていた。 そんな中で、義経はどうしたことか、自分の弓を平家勢の熊手にかけられて落としてしまう。 周りの臣下達が「弓よりも、お命の方が大切です。お捨てなさい。」と口々に言うが、義経は何とか鞭で弓をかき寄せて、拾うのに成功した。 このことで、あとで家臣達になじられた義経は「弓が惜しくて拾ったのではない。もし私の弓が二、三人でなければ 張れないほどの強弓であったなら、わざとでも落とすのだが、私のひ弱な弓を敵が取って、『これこそ源氏の大将九郎義経が弓よ』」 といって、馬鹿にするのが残念だから、命がけで取るのだよ」と語り、全ての人がその心意気に感心した。(案内板より・絵図も)
【左】源頼朝の異母弟。幼名牛若丸。
【真ん中】弓の名手。平家の扇の的を射た。
【右】義経の忠臣。身代わりで討死。
源平合戦図屏風とは、「平家物語」中の戦記関係に専ら取材し、主に宇治川から一の谷、さらに屋島や壇ノ浦に及ぶ数々の戦闘場面を図絵化したものである。 桃山時代以降、江戸時代後期に至るまで盛んに製作された。 一双でまとまった構図をとる本図は、右隻に一の谷戦を、左隻に屋島合戦を描き、両隻の画面は瀬戸内海によって結ばれている。 数々の名場面は、右隻右上端の老馬を追う義経勢に始まって、左隻第三・四扇上部の牟礼・高松間の野山で眠る源氏軍におよび、その間には様々なエピソードが賑やかに展開する。 (案内板より・絵図も)
【左】義経の愛妾。容姿端麗、舞の名手。
【真ん中】源義朝の妾で、源義経の母。
【右】源義仲の妾。武勇に優れた美女。
屋島 2008.5.3記
屋島へは屋島ドライブウエイ(有料)を利用するんだけど、かなり上るから有料の価値はある(^^)
駐車場までに源平屋島古戦場を眺めたり、ミステリーゾーンを体感したり(笑)
ちなみに、朝の8時55分に南嶺駐車場に到着。広い駐車場は、時間帯からすればボチボチの量。
まず、南嶺を見学。幾つもの展望台を巡るのだけど、同じ所を見ていても、眺望が違って見えるから不思議だった(^^)
そういえば、芝生にいた猫の毛づくろいの仕方が忙しなくて、凄く気になった(^^;)
ペロッ。ゴシッ。ペロッ。ゴシッ。ペロッ。ゴシッの繰り返し。
ま、どうでもいいんだけど、気持ちよさそうだったな(笑)
ちなみに、ここは屋島城跡でもあるんだけど、石垣が残っているらしい。よく分からなかった(^^;)
全国でも珍しい山頂にある水族館という新屋島水族館をゆっくり見学、折角なので北嶺の遊鶴亭まで行く事に。
駐車場から意外と遠いから、かなり時間がかかるわ、疲れるわ…。遊鶴亭からの眺めは凄くよかったけど(^^;)
さて、駐車場へ戻ったのが11時40分。売店の屋台風なうどん屋で、屋島名物のイイダコが乗ったうどんを注文。
あっさりして、疲れた体には丁度良くて美味しかった♪その後、屋島の駐車場を出ようとしたのが12時過ぎ。
朝は、広いだけあって空きが多かったけど、お昼には満車で、グルグルと空きを探す車がいっぱい!
それだけでなく、屋島ドライブウエイから駐車場までズラ〜ッと渋滞になってた(@@;)
料金所の手前で、満車や渋滞の事を伝えてるし!
こんなに車が来る所って知らなかったから、本当にビックリ!早めに来て良かった〜♪
【写真】屋島隊道付近の藤の花。きれいだった!
(別ページで紹介)→ 新屋島水族館