【石垣山一夜城 その2】

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天守台跡 南曲輪跡
■天守台跡… 本丸(本城曲輪)の南西部にあり、標高261.5mで当城中最も高い位置にある。 周囲の石垣が全面的に崩壊しており、資料も無い為規模、 形状については明らかではない。
南曲輪近くの門の基台跡(大手門) 門の基台跡(西曲輪の門)
享保5年(1720)の藩主大久保忠方(忠英)の指示による 作図「相州石垣山古城跡」図は、この位置を大手門としている。 折り曲げた城道の中心にあり、両側に門柱を支える櫓台状の地形が整い、 正門の立地にふさわしい。 形状は不明。 櫓台(外側)と本城曲輪の石垣(内側)との間を通路とする 門の跡だが、門そのものの形状は不明。
西曲輪 南曲輪下の石垣(角石)
本丸と出曲輪に挟まれ、城外からは見えない位置にある。西端には 櫓台もあり、大堀切に望む西側の防衛にあたる曲輪であるが、 山里曲輪に適した環境も備えていたようにも思われる。  周りは木が茂っていて、本当に見えない。 こんな大きな石が崩れず残っているのって凄いな〜(^^;) このお城でこんな遺構が見れるとは思わなかった。
南曲輪下の石垣 南曲輪横の大堀切跡
穴太流の野面石積みで、桃山時代の面影を よく残している。 素敵!! 南曲輪の横は大堀切だった。
出曲輪跡方面はこんな感じ 大駐車場から城を見る 北曲輪手前にあった展望台
■出曲輪… 大堀切を挟んで西端を預かる独立状の一郭であるが、 石垣は無い。南西側に堀が廻っているが、北条氏時代の 砦跡はこの位置に当たる可能性がある。 ちなみに、右の写真が一番最後になったけど、北曲輪の位置は 二の丸(馬屋曲輪)と井戸曲輪よりも奥になる。 ■北曲輪… 出曲輪とともに石垣の無い曲輪。当初曲輪として 認識されていなかったが、尾根地形に沿って 切岸の輪郭が明瞭に観察され、先端に堀切が見出された。
井戸曲輪
谷地形になるところをふさぎ止めるように周囲に石垣を 積み上げて(穴太積み)その底に井戸を造ったもの。周囲に残る石垣は 最も良く残っている場所で、一夜城の中でも白眉とも言うべき遺構。    凄い!井戸じゃないみたい。
展望台からの景色 展望台からの小田原城(真ん中より下辺り)
曇ったり 晴れたり

■石垣山一夜城
ここへ来るのに「石垣山一夜城」の看板があったから、信じて進んでいたら物凄く狭かった! どんどん不安になりながら進むと、うちの5ナンバーギリギリの道に!!もうバックも怖いし(^^;) どうにかこうにか、そこを切り抜け(傷も無く、タイヤも落ちず、ホッ。)アップダウンの激しい道を 進み、山1つ分くらい走って、気付くと広い道に合流出来た。ってこちらが本当の道だったのだ!! もし、怪しい小さな看板があったら、それには従わないほうがいい。大きな看板を見て進もう(汗) 遺構散策は、とっても良かった♪こんなに石垣が残っているとは思いもしなかったから、感動した。 それに本丸でパンフや、復元図も貰えたのが親切で嬉しかった♪そのパンフは城の事がもの凄く 分かりやすく書いてて、本当にありがたかった。でも配っている方がいつもいるのかは不明(笑) いや〜。本丸からの小田原城、よく見える!さぞかし、お互いに戦々恐々だったに違いない(^^;) 二の丸付近は芝が気持ちいいので、ピクニックをしている人も多くて、雰囲気のいいお城だった♪ そうそう石垣山一夜城へ行くまでの道には、「石垣山に参陣した武将達」って看板があってそれを 1つずつ見つけるのも楽しかった(笑)何個か、角度によって見落としてしまって探したりして(^^)

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