飯縄曲輪 | 飯縄曲輪と太鼓曲輪の間の堀切 | 太鼓曲輪 |
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■飯縄神社…
飯縄曲輪にある飯縄神社は、鎌倉時代初期の建久8年に津久井氏が西の峰に城を築き、
東の峰に守護神として建立したと伝えられ、戦国時代城主内藤氏も
守護神として崇敬したと言われる。(案内より) 烽火台から少し進むと、飯縄曲輪。なんだか 不思議な雰囲気が漂う。太鼓曲輪に向かう道が 少しきつかった(^^;) |
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堀切と引橋 | ||
堀切は尾根伝いに攻めて来る敵を防ぐ為、尾根を逆台形に大きく掘り込んだものである。
平時は木橋が架けられているが、いざ戦となると橋を引いたり、落としたりして敵を
防いだ。津久井城では山頂の尾根に三箇所の堀切がある。
(案内板より・絵図も)
(下)上の写真は引橋のイメージ。 |
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山城では木橋や土橋が使われる。この場所には引橋の地名が伝えられており、 また古絵図にも橋が描かれている事から、堀切を渡る木橋が架けられていたものと 思われる。木橋の構造はよく分からないが、はしごを橋にねかせたような簡易なもの、 コロや車輪を使い移動する事が出来る引橋、勿論現在の橋のように固定されたものも あったようである。ただ、その多くは非常時には簡単に取壊したり、移動する事が 出来るものであった。(案内板より) | ||
土蔵 | 米曲輪 | 本城曲輪への門跡 |
本城曲輪 | |
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本城曲輪は津久井城の中心。周囲の尾根には何段もの曲輪や長大な
竪堀が掘られるなど、とても堅固な作りになっている。
土手状に残った部分が土塁である。これは土を
突き固め盛り上げた防御壁で、
敵を攻撃する台としても使われた。
(案内板より)
(左上=土塁に隔てられ、こじんまり…。 左=立体的に。 右=築井古城記碑) |
本城曲輪から津久井湖&桜 | |
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他の所の桜は、散り気味だったのに、本城曲輪の桜はきれいに咲いていた♪なんだか、得した気分(^^) | |
米曲輪(本城曲輪下にある) | 築井城址碑 | |
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■築井城址碑…
昭和10年10月、横浜貿易新報社の県下名勝史跡45番佳選当選を記念して
建てられた神奈川百景の碑。根元から15分、城山の中腹でおくまん平
と呼ばれる場所に建つ。(案内より・絵図も)
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車坂 | 四季の広場 |
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写真でも坂だなってのがわかる(^^;)でも、下りはラク♪ | 遊具もあって、子供達の格好の遊び場!花もいっぱい♪ |
城坂橋 | 牢屋の沢 | パークセンター |
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津久井城の貴重な水源の1つ、牢屋の沢。陣屋とお屋敷の間を流れる。 訴訟関係の罪人を仕置きした牢屋があったと伝えられる場所で、 通称牢屋の沢。(案内より) なんだか怖い名前だなぁ…と 思ったらやっぱりそうか〜(^^;) | パークセンターの中には、左下にある模型や、 パンフ、津久井城の事について優しく 説明してあるのでオススメ! | |
パークセンター内の模型 | パークセンター近くの門 | |
御屋敷跡 | ||
戦国時代、津久井城主内藤氏が館を構えていた場所。発掘調査では、 深さ2.5mの堀や半地下式の蔵、中国製磁器や天目茶碗をはじめ、 さまざまな遺構や遺物が発見されている。(現在は保存して 埋められている。)曲輪は天正18年(1590)の落城後も何者か によって利用されていた事がわかっている。 (案内板より) |
御屋敷跡の石垣 | 展望広場から御屋敷跡と馬場 |
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少しでも石垣が見られるのは嬉しい〜(^^) | 奥の三角部分が御屋敷跡で、手前の広い部分が馬場。 |
■津久井城
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