トロとまったり・tripのページ(亀尾城 その1)

熊本県 亀尾城

くまもとけん かめおじょう

■亀尾城(別名=板井城)=見学自由
■亀尾城址公園
駐車場=無料駐車場

2010/4/30現在

住所=菊池市七城町亀尾
この時は、九州自動車道 植木I.Cを下りて、国道3号へ(左側の菊池方面)。 少し走って、植木町豊田信号を右折(県道53号へ)。そのまま走って、県道37号へ右折、次に県道138号へ。 少し先で、県道138号が右に行くようになるが、左の道へ(清水方面へ。案内板あり。)。 そのまま案内板に従っていき、「0.2km」の案内板の後、右側に水車があるので(見えるかな?)、そこを右折。 前方の山が亀尾城で、左側に駐車場。

亀尾城

城は菊池川と花房台地を流れる迫田川にはさまれた台地の北端に位置している。菊池・鹿本の平野を一望できる要地で、主に合志方面に備えた、菊池十八外城の1つである。 特に菊池の南西方面の重要な拠点として活躍した城。南北朝期の文書には「板井城」の名が度々出ているが、いつの頃からか「亀尾城」と呼ぶようになった。 この城は菊池氏によって、平安末期頃には既に存在したのではないかと言われている。その後、鎌倉時代に入り、相良一族がこの地を領して、板井を称し、菊池の配下に入っていた。 この地は軍略上の要地である事から、「板井原の戦」(1351)・「城の攻防戦」(1379)等、しばしば激戦の地となった。この砦は殆ど原型を止め、古城の面影を残している。 砦の縁に土塁をともない北と西には曲輪・切落、東北部には竪堀・切落、南には幅8m、深さ2.7mの「豊前壕」が張り巡らされている。 城の中心域は2つあり、1つは現在社殿(板井熊野座神社)のある「屋形跡」と、もう1つは「本丸跡」である。 それを取り囲むように堀・土塁・切落等が構築され、山城の形態をとっている。 南北朝期には菊池攻略の基地として、九州探題今川了俊・弟仲秋が、万を越える諸国の軍勢を2ヶ年も、この板井城に駐屯(板井陣)(1379)させ、菊池本城を陥落(1381)させた。 菊池第20代為邦は清水湧く、この地を愛し、麓の碧巌寺に隠遁し「碧巌録」を講じた。城址の古木は、それらの古い歴史を物語っている。(七城町の案内板より)

前川水源

【左】城址へは、水車があるここを右折。
【真ん中&右】熊本の名水100選指定。2連の水車や 駐車場側には湧き水があった。

駐車場 // 遠景

【左】うち以外の車は水汲み目当て(^^;)
【真ん中&右】重複しているけどパノラマっぽく。真ん中の写真の左側に駐車場。

登り口
城址碑
景色

【左】駐車場からすぐに登り口。
【真ん中】登り口の城址碑+矢印(笑)
【右】のどかだなぁ…(^^)

石段
曲輪?
曲輪?空堀?

【左】石段を上がって…。
【真ん中】右側に曲輪のようなものが。
【右】上がり終えると左に広がる!

腰曲輪?(冠木門のある曲輪の下側)

【左】冠木門のある下側の曲輪。
【真ん中】上の曲輪から。
【右】竪堀のような虎口のような…。

冠木門のある曲輪

【左】冠木門をくぐると…。
【真ん中】広い曲輪に、土塁が広がる!
【右】真ん中の写真の左側方面。

土塁と竪堀

【左】奥へ進むと素敵な土塁が!
【真ん中】土塁をメインに♪
【右】竪堀も見ることができた♪

空堀跡?

【左】左上の写真をもう少し引いて。
【真ん中】左の写真の逆側。空堀っぽい!
【右】真ん中の写真の奥だった気が…(^^;)

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