【左】上の曲輪へ。
【真ん中】説明板と幟型の亀尾城碑。
【右】木々の奥に神社を見つつ本丸方面へ。右に豊前堀。
■豊前壕と武者だまり…本丸の南側に築かれている壕と土塁を古くから豊前壕と呼び、豊前(大半は福岡県、一部は大分県)の僧が伝えたという説と、 この城が、弘和元年(1381)今川勢に支配を受けた時、豊前勢の手によって造られたという説がある。 壕は一部分の復元に止まっているが、平成4年夏の試掘調査で、実際には幅8m、深さ2.7m、長さ約100mにわたっていることが確認されている。 南側には、土塁が築かれ、壕の北端は竪堀に続き、合志方面に備えた大規模なものだった。 西麓の「鬼岩水」(湧水池)の上の屋形跡から社殿へ登る道があり、その両脇には小さな区画の屋敷が段々に並んでいて、家臣団の住居跡、「武者だまり」であったと言われている。 本丸と社殿の間に小さな祠が置ける程度の高みがある。これは、城内にまつられていた祠跡であろうと推定されている。(案内碑より)
【左】土塁と本丸の土塁(右)の間の豊前壕。素敵(^w^)
【右】本丸から見下ろして。どこから見てもいい♪
【左】豊前壕を見つつ本丸へ。
【真ん中】振り返って。落ちたくない。
【右】左の写真の右側。
【左】ぐるりと土塁が巡る。
【真ん中】確か、映画を記念した城址碑。
【右】下には素敵な豊前壕!(^w^)
【左】先へ進むと、1段低くなる。
【真ん中】その先を進んで…。
【右】振り返ると、少し低いのが分かる。
【左】もう一方の虎口。高さがある。
【真ん中】左の写真の左側の土塁。
【右】豊前壕と本丸土塁。
【左】崖側に細長い道が。腰曲輪?
【真ん中】神社方面へ続く。
【右】振り返って。左側がそれ。
【左】豊前壕と土塁を見つつ神社へ。最初の写真もこの付近。
【真ん中】神社へ。
【右】こちらも土塁がたくさん残る。
【左】城址碑。
【真ん中&右】神社周り。土塁や段のついた土地が多い。
【左】神社周り。
【右】右が神社。手前左側の土塁の下方面に、
最初の方に見た曲輪のような空堀のような所が広がる(^^)
亀尾城 2010.4.30記
駐車場からすぐ登り口で、すぐ城址に着くのが嬉しい。
豊前壕がなんといっても素敵!
曲輪や土塁、空堀などを見ることができて、散策が楽しい(^^)
来て良かった!ただ、説明板の縄張図が消えかけていたのが残念。
なので、文中「?」が多くなってしまった(^^;)
(写真)いっぱい咲いていた花。アジサイっぽい。