【左】薩摩街道。「のこぎり家並み」だそうだけど、この時は何も考えてなくて、今更気付く…。
じっくり見ればよかった(^^;)
【右】街灯と「薩摩街道 佐敷宿」。
【左】交流館「桝屋」。現在地の所。
【真ん中】桝屋前の「佐敷宿」。
【右】醤油屋さん(^^)
薄ピンク色?(何色?)の建物の横に、豊臣秀吉宿泊の地の標柱が立っていた。 確か、佐敷宿の案内がある桝屋の向かい側。逆からだと見えないので、注意かも(^^;) 他にも、標柱があったのか、気になるなぁ(^^)
天正15年5月28日に豊臣秀吉は、九州征伐の薩摩からの帰路に、佐敷高橋家に逗留し、正室の北政所に手紙を書いている。 また、この宿泊のお礼として、秀吉から高橋家には桐紋入りの帷子が贈られた。(芦北町教育委員会の標柱より)
社会教育センター付近に、佐敷番代屋敷跡や標柱があり、日本一の大瓦モニュメントや武徳殿もすぐ近くにある。
【左】佐敷番代屋敷跡。横の壁に、芦北郡佐敷之図と説明が書かれている。
【真ん中】佐敷番代屋敷跡の標柱。
【右】佐敷城で出土した棟飾瓦(鬼瓦)で、全国唯一の文字瓦「天下泰平国土安穏」の20倍のモニュメント!
【左】写真だとわかりづらいけど、墓石が2つ並ぶ。【右】武徳殿の玄関。
この2つの石塔は、佐敷城代加藤重次(?〜1613)の母親の逆修塔と奥方の墓と伝えられ、 子孫である澁谷家及び花北地区住民により300年以上守り継がれてきた。 しかし、南九州自動車道西回り道路建設工事の為、平成17年3月に現在地に移設された。 逆修塔(生前に死後の冥福を祈って建てた石塔)は、 方柱状の塔身の上に卵塔が乗る珍しい形状で、四方には梵字が刻まれ、また正面には「逆修為大上□□□□也」、 「宝誉明樹禅□」、「丁時慶長拾参年戊申今月今日」の銘がある。 もう1つは、方形台座上に塔身が乗り、その上に笠状(屋根型)の冠石が配される。 塔身の正面には周囲が溝彫りされ「清誉□□禅□」、「寛永□□年八月」の銘がある。 石塔はいずれも安山岩製で、菩提寺である古谷山来迎寺本堂を向いている。(芦北町教育委員会の案内板より)
佐敷城 2012.5.3記
凄く石垣が格好いい!保存整備事業による石積み部分があるからか、とっても見ごたえのある石垣だった(^^) 門跡もそれぞれ良かったし、景色も素敵だったし、大満足の見学ができた♪ その後、薩摩街道を少し見学したのだけど、のこぎり家並みを知らなかったので、良さを見落としてしまった(^^;) 機会があれば、見てみたいなぁ(^^)ちなみに、城跡の見学時間は約25分(城跡のみで、薩摩街道含めず)。