八代宮を設置、参道を作るために、南側石垣部分を開いたそう。
【左】南側の橋から、南西の月見櫓跡方面。
【真ん中】間にある城址碑。
【右】南東側。もう少し右に舞台脇の櫓跡。
石垣と同じで、この橋は、八代宮を設置する為に、南側石垣部分を開いて、作られたんだとか…。
【左】正面が八代宮。
【真ん中】舞台脇の櫓跡から。
【右】橋から見かけた甲羅干し中のアカミミの亀(^^)
【左】本丸南側の橋の袂の石碑。凄く存在感がある。
【真ん中】本丸南側の橋から、二の丸と三の丸を繋ぐ二の門方面を。
【右】三の丸方面。
【左】木に埋もれ気味の「八代城跡公園」。
【真ん中&右】重なっているけど、パノラマっぽく。左端が月見櫓跡。
2枚とも左から大天守、小天守、月見櫓跡。堀と石垣が凄く素敵〜(^w^)
【右】1番最初の写真の角度と同じ。
本丸の南西隅に建つ月見櫓は二階建ての櫓である。 一階は梁間五間・桁行六間、二階は梁間三間・桁行四間の大きさがある。屋根は入母屋造りで、本瓦葺。 北側の小天守閣との間は、石落とし二ヶ所を持つ三十八間の長塀がある。 また、東側の十二間櫓との間には、同じく石落とし二ヶ所を持つ四十六間の長塀で結ばれている。 (八代市教育委員会の標柱より)
【真ん中】小天守側から月見櫓方面。三十八間の長塀跡。堀を挟み、正面から右付近が三の丸。
【右】南側の橋から。
小天守は、東西九間、南北四間半を測る外観二層内観三階(地階部分を含む)だった。 大天守とは東西四間・南北八間の渡櫓で結ばれており、当時は大天守の下の平場から石段を登って小天守の地階に入り、 渡櫓を通って大天守の地階へと通じていた。(八代市教育委員会の標柱より)
【左】月見櫓、長塀跡を進んで小天守へ。
【真ん中】小天守入口・南側。現代の上り口は右。
【右】小天守の東面。
こちらは、小天守北側の入口(左の写真。大天守より)で、手前が急坂になっている(真ん中の写真)。 砂利で滑りそうになりつつ上がり切ると「右に行けるのかな?」 と思わせるけど(右の写真)行き止まりに…。ここから上に上がれず、戻るハメに(^^;)
【左】ここには、門があったらしく、礎石が♪
【真ん中】下りる前に、大天守の石垣を♪
【右】上から。左側の石垣の間。
【左】手前が北側の入口。こじんまりとした小天守。
【真ん中】北側の大天守方面へ。渡櫓跡かな?
【右】振り返って。
【左】北側から。
大天守は、東西十間、南北十一間を測る外観五層内観六階(地階部分を含む)だった。 屋根の両棟には鯱がのって威容を誇っていたが、築城から53年後の寛文12年(1672)2月19日の落雷による火事で焼失してしまい、 その後、再建されることはなかった。(八代市教育委員会の標柱より)
【左】小天守から大天守の入口は穴蔵に続く。
【真ん中】穴蔵から上がり、見下ろして。
【右】西側の石垣上。
【左】北西に、天皇陛下御展望之跡の碑が立つ。
【真ん中】北の丸方面。
【右】小天守の石垣側から大天守の石垣を。