トロとまったり・tripのページ(伏見城 その1)

京都府 伏見城

きょうとふ ふしみじょう

■伏見城(別名=指月城)=見学自由
■伏見桃山城運動公園=見学自由
■伏見北堀公園=見学自由
駐車場=有料駐車場
※時期によって営業時間(夜は閉鎖)が異なる。
ちなみに最初の30分は無料。
【左】模擬天守。

2007/5/2現在

住所=京都市伏見区桃山
この時は、名神高速道路 京都南IC付近の国道24号を南下、 深草加賀屋敷町信号で、左になる国道24号へ進み、御香宮前信号を左折。 線路を渡ってすぐの信号を左折し、ひたすら進んだ。

伏見城

伏見城は豊臣秀吉が、文禄元年(1592)に、指月の地に隠居のための城館(指月伏見城)を築いたことが始まり。 しかし、慶長元年(1596)に畿内を襲った大地震で倒壊し、木幡山に新たに城を築き入城したが、慶長3年(1598)に豊臣秀吉は没してしまう。その後、徳川家康が入城。 伏見城の戦いで落城するが、関ヶ原の戦いで勝利をおさめ、再建する。 元和元年(1615)大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡すると、間もなく伏見城は廃城となった。

伏見城北堀

■伏見城北堀…明治中期以降、昭和30年までは京都市水道局の貯水池として使用され、地元では「水源地」と呼ばれていた。 堀の構造は、東西に「E」型をしており、一段ないし二段の「武者走」を設けている。 昭和55年秋、石垣列確認の発掘調査を実施、南斜面より長さ8m、高さ1.5mの石垣列を検出、 その後、平成2年・3年と2階発掘調査を実施、数ヶ所にて石垣などを確認、崩壊を防止する必要上埋め戻した。 中央部分の突出部の南からは堀を埋めた様子が確認され、この北堀と南側の内堀とがかつて繋がっていたことを示していた。 発掘調査終了後、平安建都1200年記念事業の一環で、スポーツ公園として整備された。(案内板より)

【左】伏見桃山城運動公園方面へ。
【真ん中】伏見北堀公園駐車場。
【右】伏見北堀公園地域体育館。

駐車場(コインP)入口付近

【左】上部に「伏見桃山城運動公園」の看板。奥に見えるのが、コインパーキングの入口。
【真ん中】左の写真の内側。
【右】「桃山城御入口」。左の写真の左端かな?

この辺りにあった御香宮神社の案内板に「○分かぁ。歩く?」と思ったけど、 駐車場に戻るとなると坂が大変だから却下。
【左&右】道路にも瓢箪やお城の印が。
【右】付近は竹藪。

城門付近

【左】コインパーキング側から。とにかく本格的な城門。奥に天守が見える(^^)
【右】裏側から。

【左】駐車場側から城門。
【真ん中】裏側から駐車場方面。
【右】側面を写したけれど、木が…。

【左&真ん中】左上の写真の城門の右側の石垣付近の伏見城の遺石。
【右】左上の写真の城門の右端の伏見桃山城碑。

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