トロとまったり・tripのページ(伏見城 その3)

大手門(御香宮神社)

■御香宮神社…御香宮神社の御祭神は神功皇后、仲哀天皇、応神天皇など九柱を祀る。 社伝によれば、貞観4年(862)境内から清泉が湧き出て、その香気が漂い、その水を飲むとたちまち病が癒えたので、「御香宮」を賜った。 以後、伏見の産土神として人々の信仰を集めたが、度々の兵乱や天災により荒廃した。 文禄年間(1592〜96)豊臣秀吉は、当社を伏見城内に移し、鬼門の守護神としたが、慶長10年(1605)徳川家康により旧地である当地に戻され、現在の本殿が建立された。 表門は、旧伏見城の大手門と伝えられている。(京都市の案内板より)

【左&右】表側。
【右】裏側。○川の模様が気になるなぁ(^^;)

大手門横の石垣(御香宮神社)

■御香宮門前町…江戸時代は宮前町と称し、御香宮境内地の一部として扱われていた。 西面して建つ木造の鳥居は、当初、石造鳥居が紀州徳川頼宜より寄進されたが、寛文年間の地震により倒壊した。 その後これに替えて木造鳥居が先例に倣い紀州徳川家より寄進された。 先年、台風により傾いたのを機に基礎部分を掘り返して新たに鉄筋コンクリートによる補強工事を実施した。 通りの南側は伏見奉行所と隣接し「鳥羽・伏見の戦い」の時には通りを挟んで神社には薩摩藩を中心に官軍が、 一方伏見奉行所には、幕府の伝習隊、会津・桑名の両藩そして新撰組等の幕軍が陣を構えて伏見の戦いの主戦地となった。 ここが近代日本の幕開けの舞台となったところのひとつである。 明治天皇の桃山御陵への参道になってからは、土産店等が並び大いに賑わった。(案内板より)

【3枚】大手門横の石垣も名残だとか。

伏見城の残石(御香宮神社)

【左&右】地味〜に置かれている石たち。

大手筋木鳥居旧基礎石(御香宮神社)

江戸時代・萬治2年(1659)紀州徳川頼宜は、当神社境内入口の大手筋に石鳥居を奉納した。 その鳥居は寛文年間の大地震により倒壊、その後数度の建て替えを経て、明和4年(1767)に現今の鳥居が奉納された。 数回の修理後、平成10年9月の台風により傾斜したのを機に解体修理を行った。 今回修理にあたり基礎を鉄筋コンクリートにて補強するのに際して旧来の柱根石を交換したが、柱根を支えていた石底根石は再利用している。 ここに十数トンの重さを支えていた基礎石の状況を図示して、往時の土木技術の確かさを感じ取って頂ければ幸いである。 平成11年9月吉日(案内板より)

伏見城 2007.5.2記

旧伏見桃山城キャッスルランドが、伏見桃山城運動公園になっていて、模擬天守が残されている。確かに、壊すのは勿体無いほどの姿。 見学中、フッと広場を見ると、写生大会の子供達と先生がゾロゾロと集まってきた(^^;) ちょうど、座らされて指示を仰いでいる最中。今のうちに写さねば!なんとか子供達がバラける前に写し終えて一安心(^^) それにしても、最近の先生の注意の仕方って面白いね。フランク過ぎて、そんなんでいいのかみたいな。 本丸は、明治天皇の伏見桃山陵となっていて、面影は殆ど無い状態。でも、御香宮神社に、大手門や残石が見られるので嬉しい(^^) この大手門から見える和菓子屋の「ちまき」の幕につられて購入〜。ちまき大好き♪美味しかった〜(^^) ちなみに、御香宮神社の前の4、5台のコインパーキングを利用して安くて済んだけど、次から次に車が来て、駐車が大変だった〜(^^;)

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