本丸の石垣 |
石垣の高さ、長さがあるし、野面積みだから迫力がある〜。
こんなに凄い石垣が残っていたんだ〜って感動(^^)
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本丸虎口(〜三の丸)
(案内板の写真をクリック→拡大)
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この場所は城の攻守の要となるので、石垣を築き通路を屈曲させるなど
侵入する敵に対する防御の為、さまざまな
工夫を凝らしている。
ここから続く通路は、平成14年度田丸城跡遊歩道整備工事に伴う
発掘調査で確認されたものである。石垣、門や建物の礎石、石組みの側溝と石列があり、
出土した瓦や土師器片等から江戸時代のものであると考えられる。
これらのうち、礎石建物や石垣は、左の宝暦年間(1751〜64)の
古図とも一致している。(玉城町の案内板より・縄張り図も)
上の説明板通り、三の丸から(左下の写真)
本丸へ上がると、グニャリと屈曲、
次に石垣で阻んで(下真ん中の写真)、
もう少し進むと門跡…っていうかんじで複雑だ。
(右)本丸から見たもの。
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門の礎石と石列について |
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発掘調査では、宝暦年間(1751〜64)の古図にはみられない門の
礎石や石列が発見された。これらは土層の状況から、宝暦年間より古い
時代のものと考えられる。
平成14年度の整備事業では、宝暦年間以後の遺構を立体的に表示し、
それより古い門の礎石や石列は切石により平面的に表示している。
(写真=門の礎石及び石列の発掘時)(玉城町の案内板より・写真も)
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本丸の石垣 |
野面積み(石積み工法)城郭石垣の石の積み方(工法)には、使用する石の加工度によって、
色いろな工法がある。
最も古い工法は、自然石をそのままに積む、
「野面積み」で、一見粗野であるが排水性に
優れ意外に頑丈で、年暦を経ると雅趣
(風雅なおもむき、あじわい)がある。
一部加工材を使用して
小石を合端に揃える「打込みハギ」は安土城築城以降急速に普及し、
次いで切石のみで積み揃える「切込みハギ」の技法(目地を揃える)は、とくに江戸時代に
発達を見る。横に目地が整う「布積み」(江戸城)のほか、六角の「亀甲積み」(松前城)
なども考案される。
なお、隅角部のみは、早くから切石や切石に近い角石を用いて「積木積み(井楼積み、
井桁積み)」の工法が取られた。(玉城町の案内板より)
(左)この角度も格好いい。(右)本丸の石垣の水抜きも見られた(^^)
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本丸の虎口(〜天守台) |
ここは、田丸城の本丸への入口の1つである。
「虎口(小口)」と呼ばれる、道を折り曲げ敵の侵入を阻む働きをする、
城にとって重要な施設である。
平成15年度の発掘調査では、門の礎石や石段など、宝暦年間(18世紀中頃)
をはさんで大きく2時期に分かれる遺構が見つかった。
門は17世紀には建てられていたようで、間口約6.2m、奥行約2.6mの大きさがある。
遊歩道の整備に当たって、宝暦年間より古いと見られる遺構については切石を、
それ以降と見られる遺構については、自然石を用いて表示している。
(玉城町の案内板より・写真も)
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本丸 |
本丸の櫓台 |
天守台から |
(左)広〜い!!三層の天守閣があった天守台がポツン。
(右)三の丸方面。すぐ側に中学校があるのって不思議。
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天守台 |
(左)不思議な形。右の蘇鉄が気になる。
(真ん中)どの角度も、荒々しい♪
(右)穴蔵。低いと知らず、アレ?な。
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二の丸の虎口から二の丸 |
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二の丸から本丸の石垣&空堀 |
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緑の空堀が、凄くきれい(^w^)
石垣の下の白いのは水仙(^^)
色いろな石垣の下にあるので、
とてもいい香りで癒される〜♪ |
富士見台 |
二の丸の下の梅林 |
移築の富士見門があった場所。
(真ん中)富士見台と石垣。
(右)裏側の道から梅林へ。
白梅が多い中、赤の梅も♪
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