大手門跡 | ||
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大手門手前の石垣。 (真ん中)左の写真を横から。結構、長く続く石垣。 高さもある。 (右)大手門側の端。 | ||
復元隅櫓 | ||
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二の丸(殆どが東北大学の敷地)&支倉常長の像 | ||
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三の丸の堀(五色沼) | ||
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三の丸・子ノ門跡 | ||
現在、仙台市博物館敷地内の出入口と なっているこの場所に、木造二階建・ 瓦葺の門が立っていた。正保の城下 絵図(「奥州仙台城絵図」)では「子ノ 方門」と見える。三の丸への北側の 出入口である。現在も石垣が左右に 残っており、往時を偲ばせるが、この 石垣は昭和に入り修理されている。 (案内板より) (右)左の写真の右側の土塁。 | ||
三の丸・東側土塁跡 | ||
三の丸の地は、堀と土塁とで堅固に囲まれていた。土塁は 正保の城下絵図(「奥州仙台城絵図」)では「岸」「土手」等と記されている。 博物館建設の際の整地によって見た目は低くなっているが、江戸時代には 高さが2間(約3.6m)あったと伝えられる。土塁の高さは場所によって 異なり、南の巽門脇は高さ5間(約4.5m)、北の子ノ門脇では7間半(約13.5m) もの高さがあった。(案内板より) | ||
仙台市博物館(三の丸) | 伊達政宗の像 | 残月亭 |
(左)三の丸に立つ。 (真ん中)兜が深くて顔が暗い〜(^^;) (右)この時、センサーが作動中!夕方だったからね。 | ||
巽門跡 | ||
藩政時代初期の絵図には「蔵屋敷」と記されている三の丸(東丸)には、
二ヶ所に門があった。北側出入口が子の門で、南東側が巽門である。
巽門は大手門や脇櫓とともに戦災まで残っていた数少ない建造物の1つで、
昭和59年に実施された発掘調査で建物の礎石14個や雨落溝等が検出され、
翌年その成果をもとに門の跡の復元整備を行った。
(案内板より)
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酒蔵跡 | ||
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清水門跡(工事中だった) | ||
三の丸と沢の曲輪の境目に当たる門で、正保年間(1644〜47)の 城絵図では入母屋造屋根、二階建の楼門となっているが、 創建年代や変遷は不明。清水門の名は仙台藩の御用酒造りに 利用された清水が右脇にある事にちなむ。(案内板より) | ||
移築門(宮城県知事公館正門) | ||
切妻造の四脚門と呼ばれる形式の門で、屋根は本瓦葺。この門は、仙台城に あった門を、大正年間に当時の第二師団長官舎の正門として、この地に移築 した物と伝えられ、仙台城の面影を伝える数少ない遺構の1つとされている。 建築年代は幕末と見られているが、仙台城のどこにあった門かは明らかでは ない。扉は移築時に新しくつけられたもの。また、昭和46年には屋根の復元 修理が行われており、鯱はこの際にのせれられたものである。 (宮城県・宮城県教育委員会の案内板より) |
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おまけ | ||
(左)九曜紋の街灯(^^) 折角だから、点灯したところも、 写せばよかったな。 (右)夜にはこれもライトアップ。 |
■仙台城
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