宮城県 白石城 |
■白石城(別名=益岡城・桝岡城) ■益岡公園=入園自由 入館料=大人・天守閣のみの場合=300円 ※武家屋敷・ミュージアム等の共通券あり 入館時間=9時〜17時(4月〜10月) =9時〜16時(11月〜3月) 休館=12月28日〜12月31日 駐車場=無料駐車場 (2005.5.2現在) |
住所=白石市益岡町1-16 東北自動車道 白石ICを下りて右の国道4号白石城方面へ。 そのまま進み、橋を渡って、 白石市役所と白石城の案内看板に従って左折。 少しして左のテニスコート付近に駐車場。他、もう少し近い所にもある。 |
白石城 | ||
---|---|---|
|
||
白石城主「片倉氏」 | ||
■初代片倉小十郎景綱(1557〜1615)… 出羽国置賜郡下長井宮村(現長井市)に米沢八幡神主の子として生まれる。 伊達輝宗に見出され梵天丸(後の政宗)の傅(もり)役となり、終生政宗に仕える。 伊達成実と並んで政宗の股肱として知られる。小田原参陣の時、時期の遅れを説いて 秀吉との対決も辞さずとした成実と和平を説いて参陣を主張した景綱の話は 有名である。その智将ぶりは「国家の大器」として豊臣秀吉、 徳川家康からも高い評価を得た伊達家随一の名参謀である。 ■二代片倉小十郎重長(1584〜1659)… 景綱を父として、矢内重定女(やないしげさだ むすめ)を母として生まれる。 はじめ重綱の名であったが、正保2年将軍家光嗣子家綱の諱字(いみなじ)を避けて 重長と改名。徳川幕府の存亡をかけた大坂の陣で、大阪方の強豪真田隊と 激闘、道明寺合戦では後藤又兵衛を討ち取り「鬼の小十郎」の名を広く知らしめた。 大坂方真田幸村の息女阿梅はのちに長重の後室となる。 ■三代片倉小十郎景長(1630〜1681)… 重長には、子は喜佐一人だけであったので、松前市正安広(まつまえいちのかみやすひろ) と喜佐の長子を嗣子とした。仙台藩を揺るがした寛文事件「伊達騒動」まかり間違えば お家取り潰しという危機に際し国家老として亀千代(のちの綱村)につき従い 藩政を仕切り、伊達62万石を救った。 |
||
駐車場 | 白石城の可愛い看板 | 児童公園 |
野球場 | ||
すぐ下の野球場では、少年達が頑張ってる最中。 GWだろうが、野球少年は関係ないのだ(笑) (右)野球場の手前。 | ||
二ノ丸までの道中 | ||
いろいろな花がきれい!(左)駐車場付近で。 (真ん中)桜にツツジ(だっけ?)。 (右)菖蒲が咲くのかな? | ||
桜まつりの真っ最中だったので、道中にぼんぼりが♪風が気持ちが 良かった♪右は、真ん中の写真で、隠れるように立つ城址碑。 |
|
|
二ノ丸 | ||
遊具が置かれている二ノ丸。夜、 お相撲さんの像にドキッとしたなぁ(笑) (右)三階櫓から見下ろして。 | ||
二ノ丸側から石垣の端 | ||
(左)二の丸側から見た本丸の石垣の端。 (真ん中)三階櫓から見下ろして。 (右)見上げると、たなびく旗が。 | ||
大手一ノ御門へ | ||
(左)三階櫓下から、大手一ノ御門方面。
(真ん中)大手一ノ御門の左側をチラリ。 (右)白石城歴史探訪ミュージアム側から。 木で隠れているけど、大手二ノ御門を見上げて。 |
||
大手一ノ御門 | ||
(左)三階櫓から。 左下に一ノ御門、その上に大手二ノ御門。 (真ん中)外側。桝形方面を。 (右)振り返って。 | ||
大手二ノ御門 | ||
(左)桝形から(外側)。(真ん中&右)本丸から。 前回は、夜で入れなかったから、とっても楽しみだったのだ♪ | ||
【 宮城のもくじ 】 | ■ 上へ ■ |