本丸 |
白石城本丸は、仙台藩主伊達家が
白石城に宿泊する為の「御成御殿
(おなりごてん)」、政庁的役割を
果した「表御殿」、城主片倉家の
私的な居館であった「奥向御殿
(おくむきごてん)」からなっていた。
(案内板より)
(右)三階櫓から。
|
|
|
|
(案内板をクリック→拡大)
K 「御成御殿」
は、「御成上段」「御次」「三ノ間」「御成寝所、御休所」の部屋で構成され、
本丸の一番奥、西側にあり警備上一番安全な所が選ばれている。
白石は奥州街道の要衝でもあり、江戸への参府の途中、藩主(仙台伊達家)の宿泊施設として
度々使われ、藩主御成の際は、藩主専用の「御成式台」から座敷に上った。
G 「表御殿」
は、片倉家の公式の対面を行う場所で、西端の「御老中ノ間」「御次ノ間」
「御書院」「御広間」「中ノ間」、東端の「下ノ間」まで
執務部屋からなっている。片倉家家中は「中ノ口式台」から出入りした。
O 「奥向御殿」
は、城主や奥方の日常生活空間であり、表御殿と平行に建っていた。
当主用の「御座ノ間(ござのま)」「御次」「御寝所」、奥方用の「御茶ノ間」「中ノ間」
「御休所」があり、他に「奥老部屋(おくろうべや)」「女中部屋」「御医師部屋」がある。
奥へは「奥方式台」から出入りした。
本丸東南隅には園池のある庭園があり、池際に「御茶室」があった。
(各、案内板より)
|
本丸御殿跡 |
未申櫓跡 |
辰巳櫓跡 |
|
|
|
裏御門跡 |
|
|
|
三階櫓 |
|
|
|
(左上)二の丸側。(上2枚)二の丸からグルッと回って。
(左)三階櫓下の石垣。(右)本丸。
三階櫓は、文政6年(1823)に再建された大櫓(三階櫓)を、忠実に復元。
天守は、最も重要な施設で指令の中枢、
物見や武器、武具他を貯蔵する
機能を持ち、防備の最後の拠点でもある。
鯱瓦は、彫刻したものを乾燥させ、1,160度で焼いたもので高さ四尺三寸、
重さ120kg。屋根の最上部の東側に雌、西側に雄がのっている。
(下の3枚=2003.5.1撮影)
幻想的でとても素敵だった〜♪
|
|
|
|
三階櫓からの景色 |
|
|
|
三階櫓の中 |
木材は、柱が吉野桧、化粧材は青森桧葉、山陰地方の松丸太、赤杉等
国内産の材料を使用。(案内より)
(左)写真左には、下の幕があった。
(真ん中)桧の香りがとってもいい。
(右)最上階の三階。
|
|
|
|
上の写真の左にあった幕 |
土壁 |
|
|
日本古来の施工方法で、竹小舞
の上に藁切入り壁土を荒壁打ち・
目潰し・斑直し・大直し・中塗り・
漆喰下塗り・上塗の工程で仕上げ
たもの。(案内より)
|
瓦 |
釣鐘の幟 |
「美濃の耐寒いぶし瓦」で、
1,150度の高温焼成で36時間を
かけて焼いたもので、耐寒性に
優れ、吸水率が低いという特性
がある。(案内より)
|
|
|
|
鐘堂と鐘 |
白石城鐘堂は、その脇に物日(祝いの日)に片倉家の白地黒鐘の大馬じるし、
三階黒鳥毛などが立てられたと伝えられるが、発掘調査の結果等により、
三階櫓(天守)東側のこの突出平場に建っていたと考えられる。
もとの鐘は文正元年(1466)に鋳造されて、伊達郡東昌寺にあった。
東昌寺は伊達家四世政依が弘安年中(1278〜88)に建立した寺で
現在仙台市に移っている。何時の時代にか白石城に入って、
非常の際に撞き鳴らされていた。また、毎年7月、城回りの土手と
堀の清掃の時には、この鐘を鳴らした。朝8時に7つ撞いて仕事を始め、
9時に5つ、10時に3つで終わる。侍と城下にいる足軽、その他
扶持を受けている者が総出で堀払いをした。
長年使用した為、ひびが入ったので、寛文元年(1661)、
片倉三代景長が仙台の鋳物師早山彌五助に命じて再鋳した。
それが戊辰戦争後、明治3年(1870)白石城払い下げの時、ゆかりを知って
伊達郡桑折町の傅来寺で買い求め、その由来を新たに記して使用した。
太平洋戦争中、古鐘であるといって保存させたので供出を
免れて傅来寺境内に現存している。(案内板より)
|
桜まつり |
(2枚)とってもきれい!ピンクの紙の花の様にフワフワでかわいい!
(右)夜桜も素敵!2003.5.1撮影。
|
|
|
|