五の郭・虎口 | ||
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五の郭の土塁は、東の尾根からの見通しを遮るとともに、
攻撃から城の主要部分を守るためのもの。
ここから先の原型は青柳氏時代に築かれたものと
思われる。小笠原貞慶時代の構築か。
(案内板より)
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五の郭 | ||
ここから一の郭までが、青柳山城の 主要部分である。このような広さの 郭には建物があったと思われる。 (案内板より・絵図も) 二重堀切の向こうにそびえる 五の郭の土塁は存在感ある! その後、四の郭へは平坦に。 |
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四の郭 | ||
(左)五の郭と四の郭(正面)との土橋。 (真ん中)四の郭。細長いなぁ…と思いつつ三の郭へ。 (右)三の郭側から。 | ||
三の郭 | ||
青柳山城への犬手の道はここに上がってくる。
二の郭へ登る部分は、少し折れた坂とし右手から
攻撃する。ここから
一の郭への守りは、土塁と
道の折れと坂とを用いて厳重である。(案内板より)
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二の郭 | ||
(左)三の郭との間の冠木門をくぐって、
少し高い位置にある二の郭へ。
奥に見える小高い土塁が一の郭。 (真ん中)二の郭。 (右)振り返って。冠木門を出ると三の郭で、 その奥の少し高い所が、四の郭。 |
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一の郭・石垣 | ||
一の郭の石垣は、戦国時代末期のものと思われる。
石の線が横に通っているこのような積み方を
布目積みという。
小笠原貞慶時代の拡張時に築かれたものと思われる。
(案内板より)
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一の郭・虎口 | ||
一の郭へ登る防備上重要な部分。 鍵の手に曲げて登りにくくしている。 武田信玄時代のものと思われる。 (案内板より) (真ん中)内側から。付近には土塁が♪ (右)虎口付近から奥を。ちなみに奥に見えるのはお墓ではない(^^;) | ||
一の郭 | ||
一の郭は平時は見張り台で、籠城の時は城主の館などが 置かれた所。(案内板より) (左)虎口方面。 (真ん中)標高904.96m。 | ||
一の郭からの景色 | ||
(パノラマっぽく加工)夕方4時半から5時くらい。凄くきれいだった〜(≧▽≦) | 遠景で目印になる木(^^) | |
(左)一番奥が北アルプス。写真によっては、 微妙なんだけど、これは◎! (真ん中)下には、長野自動車道・筑北PA。 | ||
■青柳城
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