冠木門 | ||
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(左)表側。冠木橋側からで、「高島城本丸」の立派な碑が立つ。 (真ん中)裏側。 (右)裏側の石垣を。 | ||
冠木橋&内堀(北側) | ||
(左)冠木橋。正面は冠木門。 (下真ん中)冠木橋から天守を♪ (右)冠木橋で。エサを期待したカモが 寄ってきた…。 | ||
■高島城本丸の堀と石垣… 高島城は、衣之渡川・中門川などの川を堀とし、諏訪湖と阿原(あわら) (沼沢地)に囲まれ、縄手だけが城下町に通じていた。 天守閣の石垣と、本丸の正面と東側の石垣は規模が大きいが、 西側と南側の石積みは簡単なものであった。衣之渡郭・三之丸・ 二之丸などの石垣も比較的小規模である。 石垣は、野面積みで、稜線のところだけが加工した石を用いている。 地盤が軟弱なので、沈下しないように大木で組んだ筏の上に石垣を積んでいる。 (諏訪市教育委員会の案内板より) | ||
隅櫓 | ||
諏訪湖の波打ち際に立つお城だなんて、凄いな〜。 筏の上に石垣を積むって事も凄いけど(^^;) (右)冠木橋から。 | ||
持方月櫓跡 | ||
(左)隅櫓の南側。 (真ん中)内堀から持方月櫓跡を。横の柵にカメがいた! (右)持方月櫓跡の石垣から隅櫓方面を。 | ||
カメ | 本丸東側の内堀 | 富士見櫓跡 |
(左)持方月櫓跡の横のカメを。こんな所で甲羅干し!? (真ん中)本丸の東側の石垣と内堀。 (右)持方月櫓の南側。 | ||
土戸門跡 | ||
土戸門はお城のお勝手口であった。 上薪はじめ、その他の納め物もここ から運び込まれたし、商人や職人達 も出入りした。役所むきの用件でも 冠木門お通りの資格を与えられて いないものはここから出入りした。 (諏訪市教育委員会の案内板より) |
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三之丸御殿裏門(御川渡門跡) | ||
ここは、御川渡御門(御川戸門)と 呼ばれた門があった場所。城が湖に 面していた頃は、ここで湖の船に乗る 事が出来た。この門は三之丸御殿の 裏門である。三之丸御殿は、藩主の 別邸で、吉凶その他の儀式に使わ れた。また、藩主が寛ぐ所でもあった (現在の高島1丁目8番地付近)。 門は、昭和63年に所有者から市に 寄贈され、この地に移築された。 (諏訪市教育委員会の案内板より) | ||
二之丸 | 三之丸 | |
家老の二之丸屋敷、職人が詰めて 働く御作事屋、貯米蔵、貯銭蔵、 馬場等があった。6代忠厚の時に 起こった「二之丸一件」で二之丸 屋敷は取り壊され、藩校「長善館」 (ちょうぜんかん)が建てられた。 冠木橋辺りから写したもの。 |
三之丸御殿、家老の三之丸屋敷、 藩の会計を預かる御勘定所等が あった。また、8代忠恕の時、凶年 の窮民救済のための貯米倉庫 「常盈倉」(じょうえいそう)が 建てられた。 歩いていないので、写真は無し。 |
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カメいろいろ | ||
(左)写真を撮ったら、いきなり 逃げ出した!『逃げろ〜!!』 (右)落ち着いたらしく、徐々に 戻って来た。『よいしょ。』 (左下)亀のエサをあげると…。 亀がムシャムシャ。鴨がナニナニ? (下真ん中)そのエサよこせっ! 亀のエサなのに鴨と鯉が横取り! (右下)凄い勢いの修羅場に! |
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■高島城
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