トロとまったり・tripのページ(高城(諫早城)その2)

本丸虎口から本丸へ

【左】上がって行くと、虎口付近に鳥居が。
【真ん中】本丸側から見ると、鳥居の横にも入口が。こっち?
【右】本丸。

クスノキ
景色

【左】目通幹廻11.6m・樹高29.5m。樹齢は600〜800年。
【真ん中】晴れてたらなぁ。
【右】諫早家に対する感謝の碑。

藤棚

本丸跡には藤棚があったんだけど、凄く甘い香りが漂ってた(^w^) 時期的にいっぱい咲いていてラッキーだった♪

北〜北東(出入口)

クスノキから北へ向かうと、行ってもいいかな?みたいな雰囲気に。亀の塔や高城、藤原明神が祀られていた。

亀の塔(がめんとさん)

本来、こういったものは苦手だけど、亀というだけで親近感が(^^)

向かって右側は「読誦大乗妙典壱万部之塔」で、正徳5年(1715)、7代領主・茂晴が、国家の安泰を祈って建立した。 左側は「読誦法華経壱万部之塔」で、8代・茂行が寛保元年(1741)に、建立した。 現在の諫早公園は、中世に西郷氏の山城で、現在でも城の遺構が残っている。 城は「高城」あるいは「亀城」と言われていた。「本明川の山下渕にいる大亀が、城の下に潜り込み、 敵が城を攻めると亀が手足を伸ばして山を押し上げるので、敵が攻めることができなかった。」という伝説があり、 この由来のために、大亀の背中に石塔が作られたのであろう。(諫早市教育委員会の案内板より)

屋敷跡方面&高城廻廊

【左】眼鏡橋から、屋敷跡の諫早高校西側方面。高城廻廊への入口あり。 右側に少し写っている建物は体育館。
【真ん中&右】この時は、高校の西側の高城廻廊を、反時計回りで南側へ進んで、御書院の入場門へ。 見学時間は、とっくに過ぎていたんだけど(^^;)諦めきれず、高城廻廊からズームで写した(笑)

御書院

御書院がある県立諫早高等学校の敷地は、戦国時代初期(1500頃)に諫早地方を領した西郷尚善が屋敷を構えた所だといわれている。 その後、天正15年(1587)に西郷氏に代わった龍造寺家晴によって壮大な屋敷が構えられたといわれている。 なお、2代目領主・直孝の時、「諫早氏」に改姓された。 明治維新以後も諫早家の所有だったが、大正11年(1922)県立諫早中学校が開設される事になり、 諫早家より約33,000u(1万坪)を学校用地として寄付されたものである。 諫早図書館に保管されている江戸時代後期の絵図では、 諫早家の屋敷の中に、大きな建物が9棟ほどみられ、御書院は庭園の池に面して建てられている。 御書院は、佐賀藩主の接待など公式行事に使われていたことが、諫早家の記録「日新記」等の中にみることができる。 御書院の庭園は、南側の小野用水幹線水路(本明川山下淵公園堰取水)から水を引き入れ、流水式の池が造られている。 正面に芝山を築き、樹木を配置し、中ノ島に石橋を架ける等、池を中心とした、江戸時代に多く造られた回遊式庭園といえるものである。 庭園には、樹齢400〜500年のクスの大木が繁り、諫早にとって昔を偲ばせる貴重な文化遺産といえる。(案内板より)

【左】入場門。高校内だけに、見学できる日が、凄く細かく書かれてた。

街灯

【左&真ん中】高城橋の街灯。欄干にも櫓が。鏡で隠れ気味だけど(^^;)
【右】高城橋を渡った先には、眼鏡橋や百合が描かれた街灯が(^^)

高城 2010.5.2記

到着したのが夕方5時半前。大丈夫かな?と思ったけど、15〜20分位で見学ができた。 折角なので、石橋では重文第1号という眼鏡橋をゆっくり見たり、高校内にある御書院まで行ってみたり。 近くで見ることはできなかったけれど、ズームでどうにか姿を捉えることができた(笑)

(写真)晩御飯は、長崎名物のトルコライス♪食べたトルコライスは、 スパゲティ、カツ、カレーが、1皿に乗ったもので、ボリュームたっぷり! カツが凄く柔らかくて、どれも美味しかった〜(^w^) ちなみに、長崎市の向日葵亭。駐車場もたくさん有り。
(別ページで紹介)→  眼鏡橋

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