トロとまったり・tripのページ(玖島城(大村城) その3)

本丸

ここは、大村藩2万7千石の居城である玖島城の本丸跡である。 玖島城は、慶長4年(1599)に造られた城である。 その後、慶長19年(1614)に大改修を行い、それまで北側にあった大手を南側の大手に改修し、 この時、虎口門、台所門、搦手門の3つの入口の形が定まったと伝えられる。 本丸の敷地の内、西半分に当たる大村神社本殿のある一帯には、大広間など侍詰所(政庁)があり、 東半分の玖島稲荷神社のある一帯には藩主の居館があった。城に天守閣はなく、平屋の御殿だった。 本丸を巡る石垣の上には塀を巡らし、矢狭間、鉄砲狭間、石火矢狭間が設けられ、 護摩堂や多聞櫓があったと記録されている。(大村市教育委員会の案内板より)

【左】大村神社。
【真ん中】近寄り難い雰囲気の大村純熈(すみひろ)公。
【右】北東側。

【左】オオムラザクラ。 【真ん中】クシマザクラ。 【右】枝垂桜。

本丸・御居間跡

本丸の東半分の玖島稲荷神社のある一帯は、藩主の居館があった。(大村市教育委員会の案内板より)

こちらは、木陰が多いので鬱蒼とした感じ。

搦手門跡

城の裏門を言う。慶長4年(1599)築城の際は、大手門であったが、慶長19年の改修で搦手となった。(大村市教育委員会の標柱より)

【左&真ん中】外側から。このひっそりとした感じがいい♪
【右】本丸側から。

【左&右】本丸側からで、内側の左右。

本丸・北側の石垣

【左】搦手門側から本丸北西。
【真ん中】左の写真の正面の城内から、搦手門方面。
【右】搦手門側から北西方面。

本丸北西の城内の狭間から、上真ん中の写真と同じ搦手門方面を♪ ○と□よく見えるけど、△は難しいぞ!

本丸・北西隅

【3枚】北西隅の石垣を下から。
【左】光の具合も良くて、素敵♪
【右】左が搦手門方面が見える。城内の3種の狭間からのぞいて、どう見える?って楽しんだ(^w^)

【左】城内から。上がってみると、思ったよりも、スペースがあった。
【右】大村家の家紋。

本丸・西側

【左】搦手から反時計回りで、西側へ。
【真ん中】凄く長い!右端が虎口門。
【右】真ん中の写真の左に、水抜きが。

虎口門跡

虎口とは本丸の城門をいう。向かって右に矢倉、左手に塀があり、石段を登った所に番所があった。 (大村市教育委員会の標柱より)

【左上】本丸から。左折れで二の丸へ。
【右上】二の丸から。正面から、そして左側の側面も、格好よかった〜♪
【左】写真左側の石垣へ左折すると虎口門。前方は二の丸、佐藤嘉平次少佐の碑。 その先が、板敷櫓方面。

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