【村上城 その2】

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本丸の石垣(左=出櫓跡横の道を登り切って本丸方面、右=出櫓跡方面を振り返る)
戦国時代の村上城

戦国時代の村上城は、臥牛山の地形を巧みに利用した天然の要害で、他の中世城郭同様、 石垣は用いられていない。この時代の本丸の位置は、慶長年間の「瀬波郡絵図」から、 近世のものとほぼ一致する事が分かる。城を巡る攻防は、永正4年(1507)以降、 60年間に3度行われた。 中でも永禄11年(1568)は激戦で、城主本庄繁長は、上杉謙信の 軍勢に攻められながらも、篭城戦を展開し、ついに落城する事はなかった。 現存する複雑、堅固にして壮大な遺構が造られたのは、その前後と思われる。 とりわけ、城の東南には、虎口、竪堀、帯曲輪などが集中している。 (村上市の案内板より)

(左下)埋門の近くに行くだけで、大量の蚊がフゥーンと近寄ってくる!他の所は
いないのに!草がワッサワッサ茂りすぎてるから、帯曲輪は方面として…(^^;)
埋門跡 そこから下は… 帯曲輪方面
本丸石垣(天守台跡方面)パノラマっぽく… 巽櫓跡
本丸の中は後にして、先に本丸の横を歩き、天守台跡を見上げる。 写真では木が邪魔で見えないけど、天守台
跡にある巨大な城址碑が見える。ん〜、夏は緑がきれいだけど、 石垣が見えないのが難点だ〜(^^;)
冠木門跡(右=振り向いて、巽櫓方面を見る。)
さて、本命の本丸へ。というわけで、冠木門跡(^^) 凄くきれいな穴が残る礎石もあった。
本丸内側の枡形 本丸から冠木門跡
圧力のある高い石垣の間を、「本丸はどうなっているんだろう?」って、 ワクワクしながら通った(^^)
枡形から本丸へ… 西北隅櫓跡 天守台跡へ
やや低い場所から本丸へ。 行けないから、本丸から見下ろす。 1段高くなってる天守台跡。
天守台跡
下から発見した時に、写していい石碑?ってドキドキしていたのに、 単なる城址碑だった(笑)拍子抜け〜(^^;)
本丸の北の隅櫓跡 本丸の北から出櫓跡 本丸の北東部分
本丸の北から見た出櫓跡はブルーシートで目立っていた(^^;)そういえば、 北東部分には鳥居が何個かあったな〜。
天守台からの景色(パノラマっぽく…)
日陰のベンチで風に吹かれ、持参した飲み物で、 景色を見ながら喉を潤し、疲れを癒す。はぁ〜幸せ(^^)
村上城遠景(右=拡大)
飯野門跡(右下)付近から見た村上城。 肉眼でも本丸の柵部分が見えた(^^)
中ノ門跡 飯野門跡
車で走っている最中、門跡の標柱発見! 折角なので撮影。棒の左側に門があった みたい。他にも門跡が分かるらしいから、 時間があれば散策しても楽しそう(^^) 三ノ丸の南端にあって、羽黒門とコ字に結ぶこの門は、追手門と共に村上城郭中、 壮大な規模を誇る門である。二層の隅櫓を附け、周囲は堀と土居によって 固められた郭内は、かつて榊原氏在城当時は、三千石の家老であった 原田権左衛門の屋敷地であった。 山居前道や牛沢道から侵入してくる敵を防ぐ、要衝な場所に当たる為、 長井町と羽黒町の境には厳重な柵で囲まれた番所を置き、羽黒町の 中央部から東部には侍屋敷を配していた。元和6年(1620)頃、 堀直竒によって完成された。(案内板より)

■村上城…2006.7.30記
こんなに素敵な石垣が見れて感激(^^)出櫓跡はブルーシートがかかっているけど、 修復が完了した時は、凄く迫力のあるものになるんだろうな!ただ、見に行った時期 が夏だけに、生い茂る草や木が邪魔をして、本丸の石垣が隠れてしまっていたのは、 残念だったな(^^;)修復工事がもう少し進んだ頃、秋にでも訪れてみたいな〜(^^)

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