すぐ近くに、佛狼機砲もある(^^)
大友宗麟(義鎮)(1530〜1587)は、九州六ヶ国の守護職から九州探題職となり、九州随一の覇者として内外にその名を高め、1562年には丹生島に城を築き、臼杵から天下に号令を下した。 この時から臼杵は、名実ともに政治経済の重要地として注目を集めた。 また宗麟はキリスト教を信じ、ポルトガル、イスパニヤ等との交易を開き、当時臼杵は往来する外国船や城下町に集う外国人等で賑わい、異色の国際都市として発展した。 その宗麟の遺業を偲んで、1937年郷土出身の彫刻家日名子實三氏によりブロンズのレリーフが制作され、城跡に建設されていたが、第二次世界大戦(1944)での軍事資材として政府に献納され、 その雄大な人物像も姿を消していたが、1982年京都嵯峨美術短期大学の辻浩氏の手によって、ここに復元制作されたものである。(臼杵市の説明より)
【右】この像って、なんか怖い…。
天正4年(1576)ポルトガル人より大友宗麟侯に佛狼機砲が贈られ、これが日本初の大砲といわれている。 宗麟侯は、これを「国崩」と命名し、臼杵城の備砲として備え>付けていた。 廃藩置県後、国に献上し、現在は靖国神社境内に展示されており、これを複製したものである。(大分県臼杵市の説明より)
【左&真ん中】本丸との空堀が近いので、福原直高と空堀の絵が描かれた石柱が立つ。
【右】多目的広場。
【左】フェンスの向こう側にある。
【右】儀太夫前櫓付近の2本のモミの木は、クリスマスになるとクリスマスツリーとなり、それが日本一なんだとか。
(2003年)遠くから、目立つんだろうな〜。
【左】二の丸・北東隅。天守側。右の道を進むと埋門跡方面へ。
【真ん中】二の丸・北東隅。左の写真の右側面。こちらは土塁。
【右】松明櫓跡。この付近?
【左】北東側。こちらは、コンクリートで整備されている。
【真ん中】埋門前櫓跡。
【右】北西側。丸くなった所の上。
【左&真ん中】写真左側が埋門前櫓跡。
写真右側の石垣の手前辺りが、埋門跡かな?標柱が無いので曖昧…。
【右】真ん中の写真の奥から手前を。石垣の屈曲がいい感じ♪右側の白い棒の辺りが埋門跡かな?
【左】木に隠れた石垣の横が上の門跡。
この時はいなかったけど、ネコ達が、上の門と着見櫓の間の石垣を、登ろうとしていた。何してたのかな?
【真ん中】礎石っぽい物が両側に。
【右】上の門跡と着見櫓跡(右側)。
【3枚】帯曲輪から。どの角度も格好いい(^^)上の門跡で紹介した「上の門跡と着見櫓跡」の角度も素敵!
【左】写真左側が着見櫓跡。この石垣辺りのあちこちで、刻印が見られて、楽しい♪
【真ん中】左上から△、右が○で、下の石が、○の中に+字。
【右】○の中に、−。
【左】+字のみ。
【右】エの様なもの。
【左&真ん中】着見櫓跡付近に、石積みが見られた(^^)
【右】ここから、着見櫓跡方面を(左の木の奥)。
【左】今橋門跡。正面が月見櫓跡付近の石垣。
【真ん中】左の写真の左側辺りに立つ。
【右】今橋口。
【左】鉄門へ向かう土橋から。天守台がチラリ。
【真ん中】左の写真の逆で、土橋方面。
【右】天守台下から。
こんなに素敵な空堀を見られるなんて!感激(^w^)♪
【左】鉄門桝形手前の土橋から。
【右】逆から土橋方面。