トロとまったり・tripのページ(足利義昭陣 その1)

佐賀県 足利義昭陣

さがけん あしかがよしあきじん

■足利義昭陣
■波戸岬少年自然の家
駐車場=無料駐車場(波戸岬少年自然の家)
【撮影日】2019/1/4、2019/1/3、2018/1/4、2017/8/17、2017/8/16。
【左】左側の波戸岬少年自然の家の建物〜右前も陣跡のよう。(2018/1/4撮影)

2018/1/4現在

住所=唐津市鎮西町名護屋
標柱は、県道301号の波戸岬少年自然の家入口信号から東へ。 突き当たりが波戸岬少年自然の家で、手前左側に標柱が立つ。 案内板は、県道301号の波戸岬少年自然の家入口信号から東へ。次の十字路(真田昌幸陣の標柱が立つ)を右折、すぐ左折して東へ。 波戸岬少年自然の家の南側の十字路を過ぎて、右カーブを過ぎた先の左側にある。 (※上記のアクセスは選択肢の1つです。)

足利義昭陣 ・ 案内板

■足利義昭(1537〜1597)…室町幕府最後の15代将軍である。 兄の13代将軍義輝が松永久秀に襲われて自害した後、織田信長の助力によって幕府の再興を果たす。 しかし、その信長との対立を次第に深めて、武田信玄・浅井長政・朝倉義景などと信長に対抗する勢力を結集し、 天正元年に挙兵したが敗れる。ここに、足利尊氏以来の室町幕府は滅びることとなる。 以後、義昭は毛利輝元そして豊臣秀吉の援助を受ける。 かの由緒ある将軍職に就いていた彼も、文禄の役ではこの名護屋に実際に在陣していた。(案内板より)

【左】位置図は波戸岬にあった歴史探訪の道の案内板で、17番の旗の所に案内板がある。(2019/1/3撮影)
【右】右側が足利義昭だけど、佐賀県遺跡地図だと波戸岬少年自然の家側のよう。(2018/1/4撮影)

足利義昭陣 ・ 道中〜案内板〜遠景(No.127陣側から)

(※ここで紹介するのは、アクセスの選択肢の1つで、自分用の覚書として詳細を。)
【左】 (切り取り加工)県道301号の波戸岬少年自然の家入口信号から東へ。 次の十字路(真田昌幸陣の標柱が立つ)を右折、すぐ左折して東へ。(2017/8/16撮影)
【右】左の写真の真田昌幸陣の標柱が立つ分岐で、手前の白の矢印方面へ。(2017/8/16撮影)

【左】波戸岬少年自然の家の南側の十字路を過ぎて…。(2018/1/4撮影)
【右】(切り取り加工)左の写真の十字路から東側の右カーブを過ぎた先で、 左側に足利義昭、氏家行広の案内板がある。 ちなみにその奥に、No.127陣方面の入口(ナイトウォークの矢印有り)がある。(2019/1/3撮影)

【左】右上の写真の足利義昭、氏家行広の案内板。(2018/1/4撮影)
【真ん中】案内板付近から。足利陣とNo.127陣方面で、氏家行広陣は見えてる?(2018/1/4撮影)
【右】夏は全然見えなかった。(※自分用の備忘録として。)(2017/8/16撮影)

【左】氏家行広と足利義昭の案内板を過ぎた先のNo.127陣へ向かう道の入口方面。(2019/1/3撮影)
【真ん中】No.127陣へ向かう道の入口、ここから徒歩で。オルレコースでもある。(2018/1/4撮影)
【右】真ん中の写真から徒歩で。(2018/1/4撮影)

【左】(切り取り加工)No.127陣側からの遠景。写真左奥付近まで車で進んでしまって、方向転換に苦しんだ…。でも、結果的に進まなくてよかった(^^;)(2018/1/4撮影)
【右】波戸岬少年自然の家。この付近はNo.127陣。「オルレコース」は、波戸岬少年自然の家の敷地内を通る事ができる。(2018/1/4撮影)

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