■本曲輪の概要…ここは、本曲輪と呼ぶこの陣跡の中心となる所である。
曲輪の周りは、防御の為の土塁と空堀の跡が残っていて、その中に建物の礎石や飛石や玉石が分布している。
礎石は広間・御殿・能舞台・楽屋・茶室の建物のものと推定していて、右下の復元図の様な形状であったと思われる。
本曲輪の遺構から、ここが単なる軍事基地ではなく、当時最高の文化水準で造られた陣屋であったことがうかがわれる。
■整備方針…本曲輪の整備は、建物の輪郭を地面に平面表示することを基本に、以下の方針で行っている。
●礎石・飛石…保存処理して本物を展示している。(能舞台礎石を除く)
●玉石…本物を埋め戻してその真上に同様の石を並べている。
●土塁・空堀…本来の位置に高さと深さを縮小して再現してる。 平成2年3月(佐賀県教育委員会の案内板より・現況図他も)(2017/8/16撮影)
【左】本曲輪復元図。(佐賀県教育委員会の案内板より)(2017/8/16撮影)
【真ん中】発掘調査状況。(佐賀県教育委員会の案内板より)(2017/8/16撮影)
【右】旗竿石。(2017/8/16撮影)
【パノラマっぽく加工】北西曲輪側から入って。(2017/8/16撮影)
■楽屋…能舞台側手前2つの礎石に十文字の切欠きがある。(案内より)
【左】楽屋跡。(2017/8/16撮影)
【真ん中&右】十文字のある礎石はこれかな?1つは、薄っすらと見えたけど…。(2017/8/16撮影)
■能舞台…全体に35cm程盛り土をしている。舞台反響の為の穴があった。(案内より)
【左】楽屋側から能舞台方面の橋掛かり。(2017/8/16撮影)
【真ん中】橋掛かり。奥が能舞台。(2017/8/16撮影)
【右】能舞台。(2017/8/16撮影)
■御殿…礎石は本物を露出展示している。(案内より)
【左】東側から。(2017/8/16撮影)
【真ん中&右】北西側から。(2017/8/16撮影)
【左】茶室。(2017/8/16撮影)
【真ん中】左の写真の茶室の左奥に見える茶室。(2017/8/16撮影)
【右】茶室側から御殿、能舞台方面。(2017/8/16撮影)
■広間…礎石は本物を露出展示している。(案内より)
【左】東側からで、奥が御殿。(2018/1/4撮影)
【真ん中】東側からで、奥が御殿。礎石に近付いて。(2017/8/16撮影)
【右】御殿を背に、西側から。(2017/8/16撮影)