■前田利家陣跡…前田利家の陣跡は名護屋城の南方約300mに位置し、標高79mの頂上部を含む、広さ10万uに及ぶ最大級の大きさを誇る。 陣屋は山上の曲輪群と山裾の居館部分の曲輪(「館部」)に分かれており、居館部分は高さ6mの石垣からなる内桝形の虎口を入口としている。 平成12〜18年度にかけて発掘調査が実施され、御殿の一部と思われる平面L字形の大型掘立柱建物跡や蔵跡、井戸跡など居住空間に伴う遺構のほか、 蹲踞(つくばい)台や雪隠跡、直径20m以上の庭の池の跡など、茶の湯の「数寄」空間に関連する意向が発見され、格式のある利家の居館の様子が明らかとなった。 前田陣の規模の大きさや立派さは陣屋の中でも群を抜いており、石垣に矢で割った割石を多用する点でも先進的な造りである。 利家は徳川家康とともに、文禄2年(1593)5月に名護屋を訪れた明の使節の接待役を務めており、豊臣政権の外交施設としての格式の高さも現れているものと考えられる。(案内板より)
【左】前田利家陣跡「館部」全景。(館部の案内板より)(2019/1/3撮影)
【右】肥前名護屋城図屏風に描かれる前田利家陣。(館部の案内板より)(2017/8/16撮影)
【パノラマっぽく加工】桝形から入って右側、館跡を。 写真中央に見えるのが案内板と旗竿石。そこから左奥方面が池泉跡?写真右奥の少し高くなった所が蔵跡。(2019/1/3撮影)
【左】上の写真の左側。(2019/1/3撮影)
【右】左の写真の左側で、来た道方面。写真下側が道の駅 桃山天下市の第二駐車場。(2019/1/3撮影)
【切り取り加工】右上の写真の左上方面の名護屋城を。こんなに近くに見えていたんだと思うと不思議な感じ。(2019/1/3撮影)
【左】前田利家陣跡の森の入口から旗竿石方面。(2019/1/3撮影)
【右】前田利家陣跡の森への入口。(2019/1/3撮影)