明治7年(1874)に殆んどが焼失した鹿島城の建物で、当時のまま現存しているのは、赤門と大手門のみである。 現在、鹿島高校の校門として使われている赤門は、鹿島城本丸屋敷の正門で、古くから丹塗り(にぬり)であることから、 赤門として市民に親しまれている。門の構造は、屋根が切妻造り桟瓦葺きで、薬医門という形式の門で、 正面右側には番所が附属している。修理の時に発見された棟札から、「天神地祇八百万神守護御門安全 城主藤原朝臣直ノリ(表記出来ず) 文化五戊辰閏六月廿八日」と書かれており、鹿島城が落成して1年後の文化5年(1808)に、建立されたことが分かっている。 (鹿島市・鹿島市教育委員会による「鹿島城赤門 野外博物館」より)
【下真ん中&右下】赤門手前の水堀。
【左】鹿島高北側の石垣♪
【真ん中】左の写真の左下部分。
【右】左の写真の右下部分。
【左&右】右上の写真の右端部分をパノラマっぽく。凄く格好いい。 そういえば、石垣の上方から、部活中の熱心な声が聞こえてきた。頑張れ!
【左】写真左が赤門への道。正面が鹿島高の北側の道へ。
少しクランクになった道と鹿島高の石垣がいい感じ♪
【真ん中】左の写真の先の三叉路。
写真左が、鹿島高の北側の道(右の写真)。
【右】城下町の雰囲気漂う(^^)
【左】上真ん中の写真の正面の道。スッと伸びて気持ちがいい(^^)
【真ん中】横(左の写真の右側)には水路が見られた。
【右】高校側から。
【左】旭ヶ岡公園と鹿島実業高校の間の道。石垣が続く。
【右】鹿島実業高校と石垣。写真左側の道が、左の写真の道で、緩やかな坂道に。
大手門は、屋根が切妻造りで本瓦葺き、 高麗門という形式の門で、背後の控え柱の上にも小屋根をかける。 昭和27年(1952)に、現在の丹塗り(にぬり)に塗り替えられた。 赤門とともに飾り金具は少なく、極めて質素だが、木組みは雄大で、 幕末の小藩の城門としては非常に立派なものである。 県内に残る数少ない城郭遺構として、佐賀県の重要文化財に指定されている。
【左】内側。
【真ん中】鍋島氏の家紋の杏葉。
【右】大手門内側の土塁。ここで大粒の雨が!傘を持っていなかったのに…。
【左】大手門を正面に右側の堀。
【真ん中】石橋から左側の堀。
【右】大手門の手前の大手門の碑。
鹿島城 2013.6.20記
下調べから駐車場が不安で(^^;) 旭ヶ岡公園のパンフをダウンロードしたものの、分かるような、分からないような…。 まず、鹿島高校前の赤門前に来たけど、学校周りだし。 というわけで、本当にこっちにあるの?と、パンフを頼りに向かうと、確かに小さな公園が。 公園の横に公園があるのも不思議な感じ。 それに、これが駐車場?と思ったけど、とりあえずは、一安心(^^) ところで、ここは石垣や堀、空堀等、見所が多い!現存の赤門や大手門も見られるのも嬉しい♪ ただ、大手門を写していたら、大粒の雨が! 傘を車に置いていたから、一瞬で、ビショビショ(T_T) 急いで、車へ戻った(少し離れた所で、だんにゃに待機して貰ってた。)。 もう少し、大手門付近を見たかったのに…。 ちなみに、見学時間は約30分(大手門の見学は、車で移動)。