トロとまったり・tripのページ(塩田宿 その1)

佐賀県 塩田宿

さがけん しおたしゅく

■塩田宿=見学自由
駐車場=無料駐車場
※見学した順番ではなく、駐車場、塩田宿の碑から荷揚用場方面へと紹介しています。
(写真)荷揚用場。

2013/6/21現在

住所=嬉野市塩田町
この時は、嬉野市役所塩田庁舎の南側の国道498号を塩田宿方面へ進み、 嬉野市役所前信号を国道498号へ右折(正面の道を進むと、旧長崎街道方面へ)。 塩田中学校入口信号を過ぎ、次の川に架かるみなと橋を左折し駐車場へ。 ※上記は今回のアクセスで、旧長崎街道から駐車場へ入る事もできる。

塩田宿

塩田津は、寛永16年(1639)に、佐賀藩の支藩である蓮池藩の飛地として領地に組み入れられ、 その西目統治の拠点として、頭人役所や藩主の休泊施設である上使屋が置かれた。 また、長崎街道の宿場としての役割に加え、有明海の干満の差を利用し、 陶磁器やその原料となる天草陶石等の積み下ろしを行う川港としても発展し、 佐賀南西部における経済の中心として栄えた。

明治初めの廃藩置県で、行政拠点しての役割は無くなったものの、川港は昭和8年に荷揚場の拡張がなされて最盛期を迎えた。 また、明治37年に武雄から祐徳稲荷神社に至る馬車軌道が施設され、これに伴い表通りの道幅が広げられたが、 山側の町屋は曳屋で対応した。その後、鉄道網の整備が進むとともに海上運輸から鉄道輸送に移り、 水害対策のために河川の流路が改修され、昭和52年に川港としての役割を終えた。 塩田津は、旧長崎街道の宿場と川港という2つの機能をもとに栄えた商屋町で、藩政期に遡る町割や地割、 街路、水路、居蔵造の町屋といった歴史的・文化的財産を良好に継承している。(案内板より・地図、古絵図も)

駐車場

【左】旧長崎街道から駐車場への1ヶ所目の入口。 塩田警察官駐在所の所に案内板がある。
【真ん中】奥へ進むと駐車場。
【右】国道498号からみなと橋を渡っても、同じく駐車場へ。写真は駐車場側から。

【左】旧長崎街道から駐車場への2ヶ所目の入口。 塩田津町並み交流集合所(旧肥前陶土組合検量所)の所に、案内板がある。 こちらは、荷揚げ用場クレーン基礎横を通って、駐車場へ向かうようになる。
【真ん中】駐車場。こちらは、水溜りが凄かった…(^^;)
【右】真ん中の写真の駐車場から、もう少し先へ進むと、 塩田警察官駐在所 o r 国道498号から橋を渡って入った駐車場に、続いている。

塩田宿の碑

【左】嬉野市役所前信号のある交差点から塩田宿へ向かう道の入口に立ち、説明板もあった。
【真ん中】碑の左は、鯛を抱えた恵比寿様。紫陽花がいい感じ(^^)
【右】側面は、旧長崎街道。本来の旧長崎街道は、市役所塩田庁舎の北東の道を北西に進み、高札場の交差点を右折するルートだそう。

第一分団所(消防機庫) // 札の辻方面へ

【左】嬉野市役所前信号交差点から目立つ建物。「塩田町消防団」と右から表記されていてレトロ〜。 左の建物は、草葺(鍵型)。
【真ん中】右の石段上は、常在寺、二宮社等がある。
【右】第一分団所から札の辻へ。右手前が伊東家、奥が香月家。

塩田宿レトロ館
札の辻&高札場
上福道

【左】札の辻(ふだんつじ)から。 塩田宿レトロ館(写真右の建物)の左の道が旧長崎街道で、この後、写真左側に折れていく。
【真ん中】江戸時代の高札場跡で、左の道が上福道。
【右】写真の手前が、札の辻で、旧長崎街道が続く。

旧長崎街道
進んで…
塩田津ミュージアム

【左】塩田宿レトロ館の横の道から写真左側に折れる所を。 正面の不思議な側面の家は西家。
【真ん中】西家の正面は普通だから、側面(左の写真)を見てビックリ。
【右】吉富家。側面からの方が格好いい。

杉光陶器店

国登録文化財。主屋と一の蔵、二の蔵、三の蔵が指定になっているそう。凄いなぁ(^^)

西岡家住宅

【左&右】国指定重要文化財。杉光陶器店の隣なので、白壁の建物が並び、見応えある♪

【左&下3枚】西岡家住宅の裏側。塀には、国指定重要文化財西岡家住宅と書かれていた。
【左】(切り取り加工)こちら側に、見学時間等の案内が掛けられていた。 個人所有だそう。管理が大変だろうに、凄いな…。
【右下】付近のきれいな紫陽花♪

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