【左】振り返って見る。写真の左側は伝徳川家康邸跡。
【右】時折、石仏が使われているので、足元を見つつ慎重に。
奥の石垣も素敵だなぁ♪
【左&真ん中】伝武井夕庵邸跡付近から大手道を見下ろして。
【真ん中】伝武井夕庵邸を過ぎた先に、「此処は215段目。天主閣跡迄あと190段です。頑張って頂上まで行って見ましょう。」の看板が。
【右】看板を過ぎた所?
ここなのかな?と不思議に思った気が…。
【左】一歩、一歩石段を上がっていくんだけど、よくもまぁ〜ここまで造ったな〜と感心しきり(笑)
【右】織田信澄邸(左側の標柱)と森蘭丸邸(右の標柱)。森蘭丸の邸跡なのに、凄い状態(汗)
黒鉄門跡の所に「此処は330段目 天主跡あと75段です」の看板が。
安土城中枢部への主要な入口の1つ。平成5年度の発掘調査では、黒金門付近も天主とともに火災にあっている事が分かった。 多量の焼けた瓦の中には、菊紋・桐紋等の金箔瓦も含まれていた。 壮大な往時の姿が偲ばれる黒金門より先は、信長が選ばれた側近たちと日常生活を送っていた、安土城のまさに中枢部。 高く聳える天主を中心に本丸・二の丸・三の丸等の主要な郭で構成されるこの一帯は、標高が180mを越え、 安土山では最も高いところにある。東西180m、南北100mに及ぶその周囲は、高く頑丈な石垣で固められ、周囲からは屹立している。 高石垣の裾を幅2〜6mの外周路が巡り、山裾から通じる城内道と結ばれている。 外周路の要所には、隅櫓・櫓門等で守られた入口が数箇所設けられている。 この黒金門は、城下町と結ばれた百々橋口道・七曲口道からの入口なのである。 平成7〜12年度の発掘調査から、この一帯の建物群が多層的に結合されている可能性が出てきた。 ここから天主に至る通路や天主から八角平への通路の上には覆い被さるように建物が建ち並び、 当時の人々は地下通路を通って天主へ向かうような感を覚えたのではないだろうか。(案内板より)
【左】黒金門跡の石垣。【右】左折れに。
【左】左折れ部分。【右】振り返って。
【左】長谷川邸跡方面。黒金門から左に向かって行く。こちらへは行かず、向かう石段だけ写した(^^;)
【右】左の写真の右側辺りの二の丸の石垣。
【左】長谷川邸跡付近から二の丸、本丸方面へ。写真左側の石垣が二の丸(右上の写真の石垣)。右側にも立派な石垣が。門跡かな?
【右】左の写真の先から振り返って。