■モチの木…樹齢約400年。伏見城から都久夫須麻神社本殿などの移築をした際に、 片桐且元が手ずから植えたとされている。
※片桐且元さんは、豊臣秀吉に仕え、賤ヶ岳七本槍の1人。 こんもりした木が印象的だけど、角度を変えて見ると、幹があらゆる方向に伸びていた。 400年の間、少しずつ頑張ってきたんだねぇ(^^)
■三重塔…1484年に建立され、江戸時代初頭に落雷で焼失した三重塔を、2000年「浅井郡誌」に基づき、再建された。
三重塔、撮る角度が難しかった!
唐門は、豊臣秀吉の遺命に従って、豊臣秀頼が京都・東山の豊国廟から移築したものである。 唐破風は桃山時代を象徴する造り。観音堂には千手観音が安置されている。
苔むした屋根、唐破風の曲線、厳かな雰囲気が素敵〜♪
豊臣秀吉の御座船「日本丸」の船櫓を利用して建てたと伝えられている。(幅約1.8m、長さ約30m)
【左】外側から。
【右】スッとした奥行きが素敵♪
【左】右上の写真の少し手前から。
【真ん中】木彫りの花の装飾。
【右】懸造りなっていた!凄い!
神社名は「つくぶすま」。竹生島の古名だといわれていて、平安時代の延喜式に載る由緒ある神社である。 建物は、伏見城の遺構と伝えられている。本殿は、桁行五間梁間四間の入母屋造りの檜皮葺(ひわだぶき)、前後に軒唐破風をつけ、周囲に庇をめぐらした建築物である。 慶長7年(1602)の豊臣秀頼よる復興の際に、元の本殿の外回りに京都から移した建物を入れ込んだ特殊な構造である。 両開き桟唐戸、壁、内法長押上には、菊や牡丹等の極彩色の彫刻が施されている。 内部の柱・長押等は、梨子地で蒔絵が施されている。折上格天井は、菊・松・梅・桜・桃・楓等の金地著色画で、襖の草花図とともに、 桃山時代後期の日本画壇の中心であった狩野光信の筆と伝えられている。(案内板より)
【左】ここで、かわらけ投げが出来る(^^)
やり方は、2枚セットのかわらけを購入し、1枚に名前、もう1枚に願い事を書く。
願い事は、四文字熟語。書かれた紙があるので、それを参照に。
そして、名前の方から鳥居の間に向かって投げる!
【右】船から。
【左】船の時間の約30分位前に見学をし終えてしまったので、風が吹くこんな曇った船乗り場で、DSやPSPで暇つぶし…(^^;)
鼻水が出るほど寒かったけど、我慢。フッと、気付くと、後ろに長蛇の列が!!別に並んでたわけではないんだけど(^^;)
【真ん中】おかげで1番乗り〜!って、帰る時になって、なんでこんないい天気になるの!?
【右】向こうに雪の積もった山が♪
下の1番前の席を陣取れたので、ゆったりと気持ちのい〜い船旅で、長浜に帰ることができたのでした〜(^^)
竹生島 2007.11.24記
長浜港から竹生島港へ30分かけて竹生島へ。長浜城が見える〜♪なんてのんびり船旅。竹生島港に到着すると、幾つもの建物が見える。 ここかぁ…なんて見つつ、お土産屋さんの間を通って、入島料金を払って見学へ。 祈りの階段と言われる165段の石段を上がって行くのだけど、そんなにあったかなぁ?って感じだった。 確かに、スタスタ上がる横で、一段一段、休み休み上がられている年配の方々が驚いていたしなぁ(^^;)どうした自分(笑) いろいろ見所はあるのだけど、国宝 唐門・観音堂は素敵!苔むした屋根、唐破風の曲線がいい感じ♪ そして、御座船「日本丸」の船廊下を歩けるのも嬉しいし、下から見る懸造りも凄かった〜(^^) 伏見城の遺構という都久夫須麻神社の本殿が見れたのも嬉しかった!さて、竜神拝所! ここのかわらけ投げ!やってみた!ちょうど、窓際に誰もいなかったのでだんにゃに見守られながら1枚目! が、鳥居の手前へポト。距離感が分からないからね。でも、まぁまぁ飛んだかもね…。で、2枚目! バンッ!!投げた窓から右側に、建物が少し出っ張っていて、そこに当たって粉々になってしまったのでした…(^^;) 窓にぶつけた人もいたから、それよりはマシと思いたい(笑)そんな感じで、竹生島を堪能したのでした(^^)