御玄関前御門跡 |
 |
駿府城の中枢である本丸への出入口には、南側の御玄関前御門、
東側の御台所御門、北側の御天守台下御門の3ヶ所がある。
この中で御玄関前御門は、本丸御殿へ至る為の最も重要な門で、
本丸の正面玄関とも言える。門は、二ノ丸側から木橋を渡って高麗門を通り、
石垣に囲まれた枡形内を東に折れて本丸へ入る構造になっていた。
また、門に面する二ノ丸の一画は橋を挟んで東と西が石垣造りの土手により
仕切られ、敵が容易に侵入出来ない仕組みになっていた。
(静岡市教育委員会の案内板より)
←ハッキリと場所の感じがわからないので、
こっちかなぁ〜と写してみた(^^;)
|
家康公お手植のミカン |
本丸跡の徳川家康公の像 |
 |
家康さん、ツルツルじゃないけど、
大きすぎて頭のてっぺんが写らなかった。
|
 |
 |
天守閣跡 |
かなりカップルがいた公園(^^;)こちらが恥ずかしく…。 |
■天守閣跡…
大御所徳川家康の居城にふさわしく、駿府城の本丸には五層七階の
壮麗な天守閣が築かれた。
天守閣は、駿府城のシンボルとして、城下町からは、富士山と並び立って
見えたと伝えられる。又伝説では余りに天守閣が光り輝くので駿府湾の
魚が怯えて漁師が困った、等と云われる。天守閣は、家康在城時に一度
火災に遇い再建されるが、家康没後の寛永12年(1635)に再び火災により
焼失し、以後再建されなかった。僅かに天守の面影を残す石垣造りの天守台も、
明治29年に静岡連隊を誘致するに当たって解体され埋められた。
(静岡市教育委員会の案内板より)
|
 |
 |
 |
二ノ丸御門跡 |
大手御門 |
四足御門跡 |
■二ノ丸御門跡…
二ノ丸御門は二ノ丸に入る正面で入口で、二ノ丸大手門とも
呼ばれた。門の全体は、第一の門を入り石垣で囲まれた広い
空間を経て第二の門へと至る重厚な枡形の構造であり、第一の門は
高麗門、第二の門は渡櫓門となっていた。
第二の門を入って左手に進むと西の丸に至る。第二の門の
正面には石垣の仕切りがあり、本丸への正面玄関である
御玄関前御門へは直接入れない仕組みになっていた。
(静岡市教育委員会の案内板より)
|
■大手御門…
駿府城内へ入る正面出入口。三ノ丸堀を土橋で渡って、
右手へ直角に曲がり渡櫓門から城内へ入る構造になっていた。
歩道には、渡櫓門の柱礎石の市が記されている。
(静岡市教育委員会の案内板より)
|
■四足御門跡…
駿府城南辺の西よりの箇所に設けられた出入口で、東側の
大手御門と並び、東海道筋から城へ入る重要な出入口の1つ。
三ノ丸堀を土橋で渡って、左手へ直角に曲がり、渡櫓門から
城内へ入る構造になっていた。
(静岡市教育委員会の案内板より)
|
 |
 |
 |
二ノ丸堀 |
清水御門跡(両側から) |
■清水御門跡…
二ノ丸へ入る西側の出入口。二ノ丸堀を木橋で渡って、
高麗門を通り石垣で囲まれた枡形内を経て渡櫓門から二ノ丸へ
入る構造になっていた。門の北側には西喰違御門があり、
本丸搦手(裏手)側の御天守台下御門方向へは容易に
侵入出来ない仕組みになっていた。
(静岡市教育委員会の案内板より)
|
 |
 |
 |
北御門・馬場先御門跡 |
 |
北御門は、二ノ丸へ入る裏手(搦手)側の門で、絵図の中には「不明(あかず)」
の門と記されるものがある事から、防御上からも普段はあまり使われなかったと思われる。
北御門は門を入ると石垣による桝形風の空間を通り、二ノ丸内部へと至る。
二ノ丸へ入るとすぐ西側には石垣造りの喰い違い土手構造による
馬場先御門がある。この方面には本丸天守へ至る御天守台下御門がある為、
特に厳重な造りになっていたものと思われる。
北御門と馬場先御門とをまとめて1つの門構造とする考え方もある。
(静岡市教育委員会の案内板より)
|
駿府城模型 |
 |
 |
駿府城の天守は、5層7階で、平面規模は10間×12間(約20m×25m)
で、屋根には銅瓦や白め瓦等の金属瓦も使われていたようだ。
又、天守台は、大きさが約46m×56mであり、大日本報徳社蔵の
駿州府中城図等の記載により天守台の上にそのまま天守を
建てたのでなく、中央に独立させた天守丸構造であったと考えられる。
(案内より)
|
 |
 |
 |
駿府城模型 |
東御門の鯱 |
 |
 |
慶長12年(1607)に大御所徳川家康公が築いた、駿府城二ノ丸東御門
の大棟にのっていた雄鯱と推定される。
瓦製の鯱が多い中で当時としては貴重な青銅でできている。
昭和44年、二ノ丸堀整備工事の際、東御門前の堀底から大量の瓦や
建築材料などと共に発見された。(鯱の高さ約1.4m、重さ約500kg)
(案内より)
|