静岡県 高天神城 |
■高天神城=見学自由 駐車場=無料駐車場 (2009.3.20現在) ←北口から。 |
住所=掛川市上土方嶺向他 この時は、東名高速道路 菊川I.Cの南西付近の 県道37号と県道79号との加茂信号で、県道79号へ西へ進み、 県道79号と県道386号の交差点を県道79号へ左へ。 そのまま走って下内田信号で県道79号へ右へ。 掛川市へ入って小貫信号で、真っすぐの県道38号へ。 そのまま進み、追手と搦手の道があるが、 この時は真っすぐの追手へ。カーブになってそのまま 進むと右側に入口があった。 |
高天神城 | |
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渡辺近太夫屋敷跡 | 遠景 | 南口駐車場 |
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(左)南口駐車場へ向かっている途中にある渡辺近太夫屋敷跡。 (真ん中)屋敷跡から遠景。 | ||
追手口の鳥居 | 城址標 | 追手門跡へ |
(真ん中)追手口の鳥居をくぐって下に。 (右)追手口から先が見えないから、遠いかな?と思いきや、 すぐ追手門。 | ||
追手門跡(大手門ノ址) | ||
■元亀2年3月・・・武田信玄2万5千騎を率いて来攻、
城門を襲ったが、難攻不落と見て包囲を解いて退却した。 ■天正2年5月・・・武田勝頼2万騎を以って来攻包囲猛攻、 6月18日武田勢内藤昌豊、山県昌景の精兵城門に突入、 城兵必死の防戦、大石久未、川田眞勝以下城兵死傷75名 武田勢死傷253名に及んだ。 ■天正8年10月・・・徳川家康1万騎を以って当城包囲猛撃、23日 本多忠勝城門に追ったが、部下袴田源左ェ門城兵と戦い 討死した。 ■天正9年3月22日・・・夜半城兵総突出に際し、徳川方松平康忠城門を 破って突入し、追手櫓門を焼き落とした。 (案内板より) (左)杉と土塁で見えづらいけど、その上が追手門跡。 (真ん中)ちょっと急になる追手門跡。 (右)高天神追手門跡スギ。 |
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着到櫓跡 | 分岐 | |
着到櫓跡の奥には土塁が。 ここは標柱があるから嬉しい♪ |
二の丸方面と三の丸への分岐。 この時は、正面の三の丸方面へ。 |
二の丸方面への道は、 こんな感じ(^^) |
上に上がると… | ||
(左)振り返って。 (真ん中)左が本丸方面。右(手前)が三の丸。 (右)ちょっと低くなっている三の丸。 | ||
三の丸 | ||
城内の武将が宿営した所であるが、元亀2年より
天正2年にかけて、武田勢が来攻当時、小笠原与左衛門清有が
三の丸の大将として、城兵250余騎を従えて守備した。
別名、与左衛門平とも言う。(案内板より)
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御前曲輪・本丸への道 | 御前曲輪へ | 元天神社 |
(左)正面へ上がっていくと、御前曲輪。 途中左側の道へ行くと、本丸。 (右)階段上がって左側に元天神社。 | ||
御前曲輪 | ||
(左)城主・小笠原与八郎長忠と 奥方の顔出し看板。ここで!? 後ろの台座は、昔、立っていた 観光施設の名残りらしい(^^;) 中途半端だから、撤去すれば いいのになぁ…と思ってしまう。 (右)遠くの山まで見えた(^^) |
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本丸虎口 | ||
(左)本丸と御前曲輪への道から本丸へ。 写真の土塁左側が本丸へ。右側が御前曲輪。 (右)本丸から。 | ||
本丸 | ||
■元亀2年3月・・・武田信玄来攻に備えて、城主小笠原長忠
2千騎を以って籠城、本丸には軍監大内政局武者奉公渥美勝吉
以下500騎と遊軍170騎が詰めた。 ■天正2年5月・・・武田勝頼当城包囲猛攻6月28日 激戦7月2日休戦9日開城、城主長忠武田方に降り城兵東西に分散し 退去、武田方武将横田尹松城番として軍兵1千騎を率いて入城した。 ■天正7年8月・・・城兵交代、武田方猛将岡部丹波守真幸(元信) 城代として1千騎を率いて入城した。 ■天正9年3月・・・徳川家康来攻包囲10ヶ月、城中飢えに瀕し 22日夜半大将岡部真幸、軍監江馬直盛以下残兵800、 二手に分かれて城外に総突し激斗全滅した。23日家康入城 検視城郭消滅廃城となる。(案内板より) |
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本丸の土塁 | ||
(左)真ん中の写真の左側の土塁。 (真ん中)的場曲輪方面側から。 (右)真ん中の写真の右側の土塁。 | ||
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