トロとまったり・tripのページ(大野城 その3)

天満天神宮

この天満天神宮の起りについては、関東の覇者として君臨した平将門が、天慶元年(938)京都の天満宮(北野神社)を、この地に勧請したものであると伝えている。 それは、菅原道真公の像を描いた掛け軸に 「抑天満宮者 人王六十一代 朱雀天皇御宇 天慶元年 平親王将門公 皇都天満宮 下総大野ニ移ス 別当後光胤山本光寺」 とその由来を記したものが残されているからである。 こうしたことから、この大野の地域には城山(第五中学校のある台地)を中心に平将門伝説が古くから伝えられ、また信仰されてきたのである。 現在、市川市域に残る「将門伝説」には、市域の北東部、即ち、この大野の将門崇拝伝説に対して、中部以南では菅野不動院・御代院・八幡不知森などに、将門調伏伝説が伝えられている。 平成3年3月(市川市教育委員会の案内板より)

【左】鳥居側から第五中学校の北側のグラウンドを見下ろして。
【真ん中】境内から鳥居方面。
【右】社殿に向かって右側の土塁。

【左】社殿裏側の少し高くなっている土塁。
【右】(切り取り加工)社殿奥(裏側)の少し高さがある土塁上で、この奥にも曲輪の様なものが広がっていた。

【左】少し高くなっている土塁から社殿方面。
【右】(切り取り加工)社殿裏側。ブランコがあった(^^)

【左】少し高くなっている土塁の奥に張り出した台地。
【右】左の写真の左側付近から見た斜面。

【3枚】(重なる部分もあるけれど、3枚でパノラマっぽく)左上の写真の右側の曲輪っぽい雰囲気の所。

【左】天満天神宮の石段から左側。
【真ん中】石段方面を。
【右】真ん中の写真の写真左側から。

大野城 2017.4.16記

城跡である第五中学校は、説明板や遠景だけだけど、桜の時期だったから華やかに写せてよかった♪ 第五中学校の北側の天満天神宮は、曲輪っぽいものや土塁等、遺構なのかどうかは分からないけど、雰囲気は味わえた(^^) 浄光寺では、毘沙門天の説明板で大野城の事も少し触れていたし、枝垂れ桜がきれいだったので来てよかった。 このお寺は、幼稚園が併設されているので、日曜日に来てよかったかも(^^;) 見学時間は、紹介した所をのんびりと見学して約30分。

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