【日光東照宮 その2】

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神輿舎
三基の神輿を収む中央が家康公、右側は秀吉公、 左側は頼朝卿でありいずれも重さ1,120kg、 天上の絵は狩野了琢の筆による天女舞楽の図である。 (説明板より)
唐門 本地堂(鳴龍)
■唐門…柱には唐木の寄木細工 で昇龍、降龍の彫刻があり、屋根 には鰭切れの龍(昼の守)とつつが (夜の守)が飾られている。(説明板より)

(右)鳴龍と言って、天上に龍が描か れた下で、音を鳴らすと、キーンと 吸い込まれていきそうな澄んだ音が 聞く事が出来る。本当にいい音♪
祈祷殿 眠猫 眠猫の裏のすずめ
左甚五郎の作。牡丹の花咲く下に日の光を浴びて 子猫が転た寝しているところで、日光を現す絶妙の 奥義を極めている。(説明板より)  この眠り猫は右の坂下門より先に「ネズミ一匹通さない」という 意味があるらしい。ネズミ=人という意味で解釈。 他にも、穏やかに眠る猫の裏側ではスズメがいるという、 平和の象徴と言う意味も。奥深いなぁ(^^)
坂下門
この門を潜り石段を約200段登ると、家康公の御墓所奥宮がある。 全体に胡粉が塗られ、金具等には豪華な装飾が施されている。(説明板より) 続く石段の途中の「横に長い石 (つぎはぎでない)を使っている」の説明通りで、 感心しきり。
鋳抜門(いぬきもん) 御宝蔵 奥宮拝殿
慶安3年(1650)唐銅で屋根・柱・壁などを鋳造し、 それを組み立てたものであり、鋳抜門と称する。 当時の豪華な作風を示すもので、色調は御宝塔に ふさわしく荘厳の気があふれている。 (説明板より) 承応3年(1654)創建外部全体を青銅で包んである。この御宝蔵には 朝廷から家康公並に東照宮におくられた官符宣命等の文書を収めた ものである。 (説明板より) 参拝をする為の社殿で将軍でないと昇段参拝は許されなかった。 建物全体が銅板で包まれており、その上に黒漆が塗られ、 奥宮らしく落着きを見せた社殿である。(説明板より)
坂下門から続く階段 甲良豊後守宗廣銅像(山本修二の作)
甲良宗廣は、寛永11年(1634)3代将軍家光公代に始まった 東照宮大造替で、設計・施工の指揮に当たった幕府の作事方 大棟梁である。彼の指揮により今日の華麗な東照宮が、 僅か1年5ヶ月で造営された。 この銅像は、日光市が甲良宗廣の出身地である 滋賀県甲良町と昭和52年に姉妹都市の盟約を結んだ 記念として、昭和54年に建てられた。 (説明板より)

■日光東照宮…2004.7.3記
3度目の日光東照宮(笑)その度に鳴龍を聞いては、澄んだ音に感動(^o^) 以前は夕方に着いてしまい、帰る頃には門が閉められていて、横の通用口から帰った。 でも今回は早いうちにいったから、人が多かったけどきれいな写真が写せて満足〜。 とにかく豪華絢爛な陽明門は、ため息ものです。龍がとにかく凄いのだ。龍大好き♪ 3猿も一生を表わしていると思ってみると、なるほどね〜と感心できます(笑) 他にも近辺には二荒山神社などいっぱい見所があるので、結構歩くのですがそんな 事を忘れて日光が味わえる。とにかく日光の雰囲気がいいんですよね〜o(^o^)o ちなみに、今回は駐車場を日光東照宮の方を使ったけど、個人的には247号を左折し、 少しすると右に像がある辺りに駐車場があって、そこが好き。日光東照宮の方よりは 数が少ないけど、車と車の間が広いので駐車しやすい。それにトイレもあるし♪

■日光東照宮…2005.11.18記
4度目ともなると、殆ど見ているはず…なんて大間違い!細部にわたってみて見ると、 驚きと発見の数々(^^)早い時間に来たから、御神馬を見る事が出来てラッキーだった。 そういえば、五重塔の装飾を写そうとすると、手がブルブル震えだすという不思議な事が。 2人で写していたんだけど、私のデジカメは使えなくなるわ、相方の手は震えるわ…。 そこを離れるとデジカメも動くし、手も震えなくなったんだけど。いやはや〜(^^;) 今回は、拝殿と本殿の中に入ったんだけど、室内の装飾はこれまた凄いのでオススメ。 でも、「ここからが一番大事な話です!」と言うので、ナニナニ?とお客さん皆が、身を 乗り出すと、「ここでしか手に入らない、お守りです。」だって〜(^^;)な〜んだ(笑) そうそう、面白かったのが、引率の先生と小学生の会話。鳴龍を子供達が聞いている間、 先生は外で待機。「先生は聞かなくていいの?」「先生は何度も聞いているから、いいの! 説明する人も同じ人だし、言う事もいつも同じだから、いい。」・・・確かに、同じだ(笑)

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